自転車に乗れたのは〇歳

  私は母と折り合いが悪いです。幼少期から兄ばかり優先されていたし、兄も甘え上手で。母の家系が長男教で、母も私と同じく兄と妹という関係で、実母(私の祖母)から蔑ろにされてきた経緯があったというのに、同じ血を継いでいるというか、同じ気質になってしまいました。


 私は北海道の超ど田舎出身で、特に小学校に上がる直前まで住んでいた父の社員寮では、すぐ近くを歩けばカブトムシが取れるような場所に住んでいました。そこにある保育園に、毎朝父に原チャリで送迎されていました。しかし、冬季になると、暖房設備が整っていないので、ちょっと離れたところの保育園に通わざるを得なくなります。その環境変化がどうも慣れず、登園イヤイヤして、なんと幼児期に関わらず、家で一人留守番していました。


 父は当時の家が職場近くだったので、昼に安否確認とともにご飯を食べさせに、後輩と一緒に帰ってきてくれていました。定時で上がるようにして、なるべく一人きりの時間を増やさないようにしていました。


 私は一人でも、大量の絵本を読み漁る毎日を送っていたので、トラブルを一度も起こすことなく過ごすことができました。


 マイホームも小学校に上がる直前に建築され、小・中・高校と、すべて1キロ圏内で揃っている、ど田舎だけど、大量の人員が必要な職場に勤めているが故にベッドタウン化していっている(いまだにコンビニひとつないけれど)地に住まうことになりました。


 その前ぐらいに、兄が自転車を乗り回していることが羨ましかったので、自転車にのれるようになりたいとせがみました。最初は女の子らしいタイプの補助輪つきの自転車を買い与えられて、いつも私の見守りはするけど世話は特にしない父が、気合いを入れて、補助輪が外れるまで自転車に乗れるように特訓してくれたものでした。


 父から直接褒められたり、といった声掛けなんかもほとんどなかったのですが(大人になって色々話してみると、内心では色々思ってくれていたらしいけれど、口下手。)、この時ばかりは「もうちょっとでいけるぞ!」「うまい!」「もう補助輪外すか?」などと声を張ってかけてくれて、あまり兄に比べてフューチャーしてもらえなかった幼少期に、父との触れ合いができた思い出でした。


 早々に乗れるようになったあとは、小学校でできた男友達がマウンテンバイクタイプに乗っていたので、兄にしては小さくなったお下がりの自転車に乗り換え、田舎故にだだっ広い子供の遊び場と化しているところでウィリーだのドラフトだのの練習をして遊ぶようになりました。


 親からは箸の持ち方も鉛筆の持ち方も学ばなかったし、宿題の面倒を見てもらったりしたこともなく、学校の持ち物を用意する手伝いも最小限だったり(何かを買いに行く時は早く選ばないと、せっかちな母ががちぎれる。)。左利きも矯正されず。変な書き順していても気にされず。運動会やら学芸会やらも、ビデオ撮影されたのは兄も一緒に登場しているときだけ。兄だけのビデオは四十本はあるだろうという本数だったのに。写真撮影も産まれたてのもの以外はほとんど合同のもの。朝ごはんも小学校に上がったら自分で用意するように(トースト焼いてジャム塗るだけから、サラダ作ったり卵を焼いたりするようになっていった。)。高校では兄に弁当を用意していたのを、私が進学したタイミングで「飽きた」と言われて、食費をもらって自分で用意するように。


 そんな感じで、かなり放置されて育った私ですが、父は幼少の時に目をかけてくれていたし、心配もしてくれていた。口下手だから褒めてくれることもほとんどなかったけれど、掃除と洗濯といった家事を毎日朝早くに起きて、当たり前のようにこなしていた姿をみて、ファザコンではないですが「結婚するならこういう人がいいんだな。」と思わせてくれました。


 夫は父に比べてかなり奉仕精神強いし、心配性(のわりに、自分に対する衛生観念が低いので年一で救急車沙汰、もしくはそれに近い状態になる食中毒マンですが)ですけど、とにかくほぼ理想の結婚相手と巡り会えて良かったです。家事も指導して、少しずつレベルアップしていますからね。


 そんな父との思い出あるエピソードでした。だから、母のことは嫌っていても、父のことは嫌いにはなれないんですよね。

 

 

 

 

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