小学校は、学校によってはマーカーペンは高学年になるとOKになるところもある。

 でも、シャープペンシルがOKになることはあまりない。特に低学年、中学年のうちは特に。

 何故かというと、「芯の扱い」と「本体の扱い」に、子供自身が対応しきれないから。

 「芯の扱い」については、ケースに入っていても、一度バラバラと落としてしまうと拾い辛い。そして落としたままだと、足や机などでこすれて床を汚してしまう。注意するけれど、床に這いずる子がいたら、怪我に繋がる。鉛筆の芯も折れて飛んでいく、ということはあるけれど、シャープペンシルに比べるとずっと確率が低い。鉛筆なら落としたら誰かしら気づきます。芯がころころ転がって落ちても気づかない。自己管理能力の低いうちは、鉛筆が良い。鉛筆は、特別なものではなくても、まだ持ち方矯正にもなる。持ち方が歪なまま大人になってしまうと、そこから矯正するのは大変。情報化社会となりつつある現代ですが、紙文化は、日本からまだまだなくならない。伝統文化でもある。サインをする場面において、歪な持ち方をしていると、大昔に左利きを「ぎっちょ」と呼んで障害者扱いしていたように(というか、私は長男教の祖母に言われていた。孫に向かって。酷すぎない?兄も左利きだったのを、祖母が矯正しただけなのに。両親はネグレクト気味の放任主義だったから、箸の持ち方すら、テレビを見ながらなんとなく「ちゃんとした持ち方ってなんだろう」と思いながら幼心に自分で身に付けた。)、「育ちが悪いなあ」と思われてしまう。美しい持ち方、美しい字は幼少からの教育で身につけなければ、大人になってからではなかなか難しい。(私は左利きで矯正もされずに育ったのもあって、字が汚い。美しい字の人が羨ましい。板書の字は何とかきれいに書けるようになった。でも紙に書く時はどうしてもぶれぶれ。硬筆検定を受ける事で字形を正そうとした頃もあったけれど、治らず仕舞いだった。試験に受かっただけ。)だから、持ち手の硬いシャープペンシル(六角形の形をしているものもあるけど、持ち手が柔らかみがあってさまざまな形状があるえんぴつがよい)は、持ち方矯正にも向いていない。

 先に一部、形状について語りましたが、「本体の扱い」の問題。

 いくつかのパーツでできているシャープペンシルは、壊れやすい。不具合が起きやすい。「先生、直してください。」と言われても、私だったら不器用だし、変に壊してしまいそうだから、「お家で保護者の方にやってもらおうね。」で返す。髪をうまく結べない子が「先生、結んで〜。」とかなら、「いい感じにできるかはわかんないけどー。」と言って結び直してやるし、「先生、これ固くて解けないです〜。」と言われたら、解いてやる。まあ、こういう細かな子供たちの要求が多いのも大変でもあり、コミュニケーションでもあると思っていますが。でも、ちょっと複雑な構造のものなんかになると、「直そうとして壊したら怖いな」ってなって、対応できない。つまり、子供で対応できない道具は持たせない。物を書く機会の多い教育現場においては、特にシャープペンシルなんて、壊しやすいものの筆頭。それに、ごちゃごちゃとパーツを分解して、それに没頭してしまうことがある。集中力を阻害する。授業を受けるのに向いていないことこの上ない。だから、鉛筆というシンプルなものを使わせる。それに、シャープペンシルは、芯が出ていてもいなくても、先端が鋭くできている。私は昔、暴力的な子(今思えば、ネグレクトを受けていて、ADHD要素のある子だと判断できる。)に、尖った鉛筆を腕にブッ刺されたことがあり、大人になっても痕が残っている。それがシャープペンシルなんてもっと鋭いモノで起きたら、どうなるか。それに現場で起きた事ですが、「立てて置ける袋型筆箱」に鉛筆をさしていた子がいて(五年生だか六年生)そこに何らかの事情で倒れ込んでしまった子の顔面に鉛筆が刺さるという事件も起きてしまっている。鉛筆でもこんな危険性があるのに、それよりもっと鋭いシャープペンシルがあれば、とんでもないことになる。そもそも、鉛筆にキャップもつけずに袋に入れていたのも問題だったけれど、こうしたことがあって、私が勤める現場では立てておける筆箱はNGになりました。

 子供が不意の他害をしてしまわないように、自身も集中して授業に取り組める環境にするためには、鉛筆で受ける必要がある。シャープペンシルを使わせたいなら、家だけにしてください。