保護者の方々の声を聞くと、やはり二分するんですよね。「出して欲しい」「出されるとやらせるのが大変」という意見。でも、どちらかというと「出して欲しい」が多いです。なぜかというと、「先生からの課題」という強制力のあるものがないと、家で勉強をしないから。

 それはまあ、ある程度は同意見ではあります。私は宿題の意義として、2点主に考えていることがあります。

①学力定着
 私が宿題を出す時、タイミングとしては、算数なら、その日学んだことの復習になるように出しています。余裕がある時は、ずいぶん前に取り組んだ単元のところを出して、長期記憶化を図っています(『学習曲線』で調べてみて欲しいです。)。
 漢字の場合、新出漢字をドリルで学校で取り組んでいても、いなくても、とにかく定期的に毎日、授業時間数に合わせた量を出すようにしています。いまどきの漢字ドリルとワークはよくできていて、ドリルを見ながらワークを進めても進めなくても、どういう熟語なのかとかわかるようになっていたり、QRコードがあって学びを深められるようになっていたりします。
 提出されたものは、計算系は答え合わせを自身で行ってから出すようにさせて、ハンコで処理。丸つけをしていなければ、自分で必ずさせます。手抜きというわけではなく、フィードバックになるからです。
 というか、算数が苦手な子は、ぶっちゃけ答えを見てもよいと思っています。でも、ちゃんと書き写す際には、「なんでこういう答えになるのか」ということを考えて欲しいと思っています。必要に応じて、苦手としている、LD傾向のある子にはそうさせていました。何なら、計算は電卓使ってもいいですし。更に言うと、教材として購入した全体で取り組むドリルが合わない場合は、もっと特別支援要素の絡んだワークを別に取り組ませます。もちろん保護者の方が「他の子と違うことをする。」ということに了承されてからですけれど。じゃないと、ますます宿題に対してネガティブになってしまいますからね。
 でも、やっぱり自分の子供が「他の子と違う」というふうに見られるのは嫌がる保護者の方も多く。家では取り組んでくれたりするものの、それを代替にするわけではなく、通常の宿題も出させようとします。
 理解の深い保護者の方に「漢字は書くのがハードルが高いようなので、何度も繰り返し練習はしなくていいから、なぞり書きまででオッケーです。それで足りないと思うのであれば、こういったワークに取り組んでみると、よりレベルアップすると思います。」という提案に乗っかってくれて、子供と一緒になって「宿題しなさい!」「めんどくさい!」というやりとりがなくなり、互いのストレスが解消されるといったこともあります。
 そうして自宅で学習する習慣は、どんどん難解になっていく内容に自分で対応する力を高めていくためにも必要だと思います。高校生になって親にテスト勉強を見てもらう、なんてことをしている子はほぼいないでしょうから。そうやって家でも勉強するという力は必要ですし、確かな学力を身に付けると、より将来の職業選択時の幅が広がります。小学生のときの夢を叶える人なんてごく一握り。成長してみないと、どんな職業があってどんな仕事をしてみたいと思うか分からない。そんな時、どんな仕事でも選べるように、学力は高めておいて損はない。
 しかし、脳の構造的に、LD傾向がある場合は、それに適した対策も取らなければならない。だからこそ、宿題の量を調節したり、違うワークに取り組んだりする必要があるわけですよね。
 私はIQが健常の範囲ではあるものの低めで、計算がかなり苦手です。学生時代には赤点もとったことがあるし、学力もかなり低い学校を出ています。それでも教員になれてしまったのは、努力家というか、自立していたから。それを当たり前にしていたから。好きなことにはトコトン追求するし、大学でも、教育大には進んだものの、当初は国語の勉強がしたいと理由から。親が提示してきた国公立で、出身地である北海道内という条件のなか、推薦試験を受けられるということで、比較的得意な小論文やディベートで攻略できました。そして教員採用試験も、学科はまず攻略できないと捨てて、こちらも推薦試験。苦手を回避して得意分野で攻略してきた人生でした。
 推薦を受けられたのも、それなりに努力をしてきたから。気に入った講義は修了しても、またもう一度履修するようなこともしていました。それで知らずにGPA?が推薦試験を受けられるような基準に達し・・・というような感じでした。
 まあ、自分なりにがんばる力と自立+自律する、というのは大事な力だと思っています。それが宿題に繋がると思っています。
 
②提出物を処理する能力を身に付ける
 成長するにつれて、自分で期日までに用意しなければならない書類だのなんだのってものが増えていきます。社会人になればなおさら。そう言う時に、提出漏れをしてしまうようなトラブルを回避できる。①で語ったこととも重なりますが、自立+自律を養うために必要なことだと思います。だから、私は決められた課題(宿題)の提出は、しっかり行うようにと指導してきました。個人によってできるレベルは異なるから、それに対応して欲しい・・・というのが、私の本音。「おたくのお子さん、現在のドリルのレベルに学力が追いついていないようだから、こうしません?無理にやろうとしても、時間の無駄だし、ストレスになるばかりですよ。」と、ざっくばらんに言うと思うので、個人差に合わせた内容にはしたいですけどね。それを受け入れられる保護者がなかなかいない、というのが残念なところなのですが・・・。

 もちろん宿題を出しているからには出しっぱなしというわけでもなく、計算はハンコで処理しますけど、やり方はこだわる。漢字は丸つけを自分でさせても、見落としが多くなりがちだからちゃんと目を通して(30人前後を捌くから、最初は大変ですけど、だんだんと、ばばばっと朝の短い時間で捌ききる能力が身に付きます。)、間違いやすい傾向の漢字や送り仮名などを朝の会で解説する。丸つけも、努力を(色分けして書いていたり、最後までていねいな字で書いていたり)している子には特別なコメント(全員につけるけど)を書いたり。

 宿題を出せない子は、学力不安があるか、やっぱり提出物に難がある子。家庭の事情も絡んでくるので、提出物の提出遅れに関しては責めませんが、宿題をあまりにも出し忘れる、出さないという子には少しずつ圧をかけていっていました。

 今時の子は習い事をしている子も多いですので、個別対応がかなり難しくなってきています。特別支援要素持ち、家庭環境がネグレクト気味、逆に教育熱心過ぎて義務教育を軽んじるなど・・・。

 と、ここまで宿題必要論者として語ってきましたが、多様性が求められる社会です。全家庭が家庭学習を個別に進められるのであれば、ぶっちゃけ宿題なんて教員の仕事じゃないやろ。と思っています。学校教育法にだって書いてないだろうし。宿題を課さねばならない、なんて。
 一人一人に適切な家庭学習をさせてあげられる。そういった知識を保護者に提供して、保護者の方で選択して取り組む。そういうふうになれば、子供のためにもなるのになあと思います。②の提出物問題だって、学校はなにかと提出物がありますから、宿題でやらなきゃならんってこともないと思いますしね。

 という、相反する宿題への考えをもっております。保護者の方々の本音、今はどんなもんなのでしょうかね。