勤務校での修了式を終え、残務処理で毎日残業が続いております。
アオちゃんへの夕方のご飯が遅くなってしまい申し訳ないなと思いつつ、仕事に追われながらも、受け持つ学級との別れを終えました。
しょっぱなから泣いたのは、とある特別支援的要素があって支援に追われたAさん、不登校だったのを叱りつけて(模範的な支援ではなかったけれど効いた)不登校から立ち直ったBさん、先日大乱闘スマッシュブラザーズ(自傷児童と大乱闘スマッシュブラザーズ~傷パワーパッドってすごい~ | 発達闘病先生 (ameblo.jp))を繰り広げたCさん。Cさんは自分の気持ちを言葉で表現するのが難しい子なので真相は分かりませんが、AさんとBさんに「どうした? クラスのみんなは一緒だから心配することないよ?(担任は変わるけど)」と聞いたら、二人とも「私と別れるのが寂しい」と言葉にして伝えてくれました。「そうやって泣いてまで寂しがってくれることが先生は嬉しいよ。ありがとう。」と伝えました。
その後の通知表渡しの際は、廊下で一人一人個別に思い出やその子の長所、これから頑張って欲しいことを伝えて渡していました。その時も、複数の女の子が泣きながら話を聞いてくれたので、「コロナだけど今だけは」と思って、ハグして「別れを惜しんでくれてありがとう。」と伝えました。人前、特に子供の前では涙を見せたことのない私も、この時ばかりは涙ぐみました。
帰る際にも、複数人で集まって「今までありがとうございました!」と言ってくれる子たちも。
中には保護者の方や自分からの手紙や、手作りのプレゼントなんかもくれることも。こうしてくれている子たちにとって、私は「良い先生」であれたのだなと、嬉しく思いました。
ただ、子供たちに最後の先生の話として伝えたのですが、
「小学校時代の先生に対する思い出って、大人になるころには殆ど忘れています。ただ、あの先生は好きだったな、苦手だったな、とか、一つくらいのエピソードを覚えているくらいでしょう。人によって、好き好きは異なると思います。私は私なりに、あなた達にとって良い先生であろうとはしていました。これから、もっと考える力が高まっていくなかで、『なんでこんなルールを作るんだろう』とか、疑問に思って、先生に反発したくなったり、実際に嫌ったりすることが出てくるかもしれません。そういう時のために、あなた達には『理由』を考える授業をしてきました。『なぜこんなことをしなければならないのか。』と思った時、理由の答えが出ない時は、質問してみましょう。納得がいかない答えの時は、抵抗するのもありでしょう。でも、その先生たちなりに、『良いから』と思って行っていることだと思います。反発する前に、『理由をよく考える』、そういう人になってください。」
と伝えました。今年度受け持った子たちは本当に敏い子が多かったので、私の言葉が心の内に残っていてくれたらいいなと思いました。
そして一方。別の意味で涙ぐむ目に遭ったこともあり。
この時期になると次年度の学年が決まってくるのですが、校長によってはけっこう早い段階で教えてもらえたり、もらえなかったり。今回の場合はかなり遅く、もう年度末最終日ごろとなりました。
事前に「どの学年を希望するか」という調査もあり、私は学校の中でも落ち着いていて(今の学年は希望しませんでした。特別支援が必要な子は多いものの、良い子が多くて比較的落ち着いていましたが、同じ先生が立て続けに担任になるのは子供にとってよくない(様々な価値観の元で学ぶべきだから)し、慣れやダレが生じてしまって問題が起きるようになるかもしれないから。)、授業時数の少ない低学年を希望していました。
ところがどっこい、告知された学年が学内でも1・2を争う問題児の多い学年。その様子が教室の中に入らなくても分かるレベルのものなのです。しかも上の学年で授業時数が多い。
パニックを起こして泣きながら「低学年でお願いします・・・。」とも訴えたのに、なぜ!?
と、校長に問うたのですが、「学級運営の力を見込んで何とかしてもらおうと思って。」と返されました。
「考え直すことは・・・。」「ないね!」
という。なんてこった・・・。
私は病気と発達障害(パニック障害と最近は強迫性障害、自閉症スペクトラム)の影響で、授業時間に発作を起こして途中で早退けするようなこともあります。それなのに、「この学年はムリだ・・・。私の手に負えない。」と思っていた学年になりました。まだ4月1日を迎えるまで確定ではないですが、問答の様子からして変える気はなさそうでした。いっそ「じゃあ長期療養休暇を取ります。」と宣言したい気分でした。
しかし校長、狡猾・・・。私の責任感の強い自己パーソナリティ上、途中で「やめます」なんて言い出さない性格を見抜いているのだと思います。
たまたまうちのクラスの問題児さんたち(Cさん以外にも複数人いた。Cさん含め「問題児」は不適切な言葉ですが、他に上手い表現の仕方が分からないのでご了承ください。)が落ち着いたのは、単に相性が良かっただけなのかもしれないのに・・・。
次年度、途中で長期療養休暇に入るかもしれない・・・。そんな予想までしてきました。
良い思い出で終わった~で終われなかったこの事態に、次年度の学級開きが早くも不安でいっぱいになりました。
それでも何とかしていかなければならないのが上司命令。4月1日までの間、不安を抱えて眠りに徹し(といっても不妊症関連の定期健診やら精神科の通院やらでじっくり休む日はない。)たいと思いました。

