皇室典範は明治22年(1889年)につくられ、
皇位継承については第1条に「男系ノ男子之ヲ継承ス」
されています。このため、女性である愛子様は皇位を
継承する立場にあらず、結婚すると民間に下ります。
国会議員の声の大きい人たちは、この皇室典範を根拠に
「日本の皇室は古来から男系の男子で継いできた」と
信奉しています。
さて、皇室典範が成立した経緯ですが、この時代は
自由民権運動の大きなうねりの中であり、
皇室典範を策定するにあたり女性天皇も認めるか、
ということも大きなテーマでした。
この中で大きな役割を果たしたのが、法制官僚の
井上毅(こわし)。井上は、伊藤博文の皇位継承は
女性でも良しとする草案に対して、
「男を尊び、女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する
我国に至ては、女帝を立て、皇婿を置くの不可なるは、
多弁を費やすを要せざるべし」
”男尊女卑が浸透しきっている日本において、
女性天皇を認めるかどうか議論するまでもない”
これが決定打となって、現在の皇室典範にも
その意思が受け継がれています。
さて、この井上の考えが本当だったのか、
また、声の大きな国会議員の主張する
「日本の皇室は古来から男系の男子で継いできた」
が本当だったのか、ということを見ていきたいと思います。