「ムラの掟(おきて)」を守ることで
自分が属する集団の倫理を守(ろうとす)る
日本人の特性が、ここ数か月間の「コロナ騒ぎ」の
なかにもあちこち現れたような気がします。
良くも、悪くも、です。
私たち日本人は、緊急事態宣言での
「不要不急の外出を控えましょう」
「マスクをしましょう、手を洗いましょう」
といったコロナ対策を、ほぼほぼ律儀に
守り通しました。宣言が解かれた現在でも
多くの人たちは外出の際にはマスクを
つけ続けています。
これって、お上が決めた「ムラの掟」を
みんなで守ろうね、という日本人独特の
倫理観の現れだというのは違うでしょうか。
「違う」っていう人も多いでしょうね。
「コロナに感染したら怖いから」と
思っている人も多いことでしょう。
そういうのは日本人の集団性を意識して
マスクをつけているのではないので
それはそれでいいのだと思います。
ただ、こういう話も聞きました。
電車の車内でマスクをしていない人が
他の人たちに白い目で見られた、というのです。
(コロナがこれだけ流行っているのに、
どうしてお前はマスクをしないんだ)という
律儀にマスクを守っている人たちからの
「集団的な圧力」が、ここに見え隠れします。
「もし、おまえがコロナに感染してて、
マスクをしてないがために俺に感染ったら
どうしてくれるんだ」という論理でしょうか。
自分たちと違うことをしている人に対して
自分たちと同じ行動(同調)を求めることを
「同調圧力」と言います。
「みんなで不要不急の外出を我慢したから
コロナの蔓延をこの程度で抑えることができた」
といったように、「右を向け」と言われたら右を向き、
「左を向け」と言われたら左を向く、というような
日本人の集団性が、今回のことや震災などの
非常時に強みを発揮しているのではないか、
と思います。
その一方で、マスクをしない人を白い目で見る、とか、
休業要請を無視して営業するパチンコ店を袋叩きにする、
といった同調圧力が強まることの先には
生活しずらい、息苦しい社会が待っています。
息苦しいのはマスクのせいではありません(苦笑)
今回のコロナ騒ぎでそう感じているのは私だけでしょうか。
これがさらにエスカレートすると
「差別」を生むことにつながります。
自分たち集団と違うAさんを「村八分」にする感覚です。
実際に私が住んでいる地域でこの間感染者が出ましたが、
ネットでその人が特定されてさらし者になっているらしいです。
感染した人が身近にいれば、たしかに
気をつけなければいけないのですが
感染してしまったがためにネットにさらされてしまい、
世間から袋叩きにされてしまうほどの仕打ちを
受けなければいけないのでしょうか。
「コロナに感染することが怖い」以上に
自分が暮らしている世間に居られないほどの
ダメージを受けることのほうが私は怖いです。
ネット空間での倫理観の話を
このあともう少し続けます。