神の教えを守り、日々の自分の行動を

律しようとした「一神教」的価値観が

日本人には根付いていません。

もちろんキリスト教やイスラム教など、

一神教を信仰している人たちを除いて、

ということになりますが。

 

日本人には一神教が興る以前の

自然にあるもののすべてに霊が宿る

という「アニミズム」信仰が現代においても

色濃く残っていると言えます。

 

一神教が果たす役割の一つとして

神の教えを忠実に守り、生きていくこと、

日々の生活の中で倫理的に振舞うことを

求められ、それによって集団が維持されている

わけですが、では、一神教の教えが

根付いていない日本人はどうやって

自分の欲を制御して行動を律しようと

するのでしょうか。

 

例えば、キリスト教などなかった原始時代、

日本では稲作が始まった弥生時代ごろです。

コメの生産性を上げるために

効率的に作業できるように道具を進化させ、

水の供給を一定にするために用水路を造り、

収穫したコメを保存するために大きな倉庫

(高床式倉庫)を造りました。

収穫量の多寡によって貧富の差が生まれ、

争いが始まったのもこの頃だと言われています。

収穫量の少ない集落の人々から

自分たちの土地を守ろうと防御を強めたそうです。

 

一つのことをみんなで成し遂げようとすると

お互いが相手を思いやって助け合う必要があります。

 

こうして最初は血縁程度だった集団が

徐々に大きくなっていき、それが「ムラ」

と呼ばれ、さらに大きくなると

「クニ」と呼ばれるようになります。

 

「ムラ」のなかでみんなと共に生活するには

いわゆる「ムラの掟(おきて)」を

守らなければいけません。

みんなが掟を守って協力して

「ムラ」や「クニ」を繁栄させていくのです。

 

日本人の倫理的な行動の根拠は

このように「ムラの掟」を守ること

にあるような気がします。

ご近所づきあいを大切にする、

世間体(せけんてい)を気にする、

掟を守らないと「村八分(むらはちぶ)」

といった罰が与えられます。

 

こういった日本人の特性は現代でも

野球、サッカー、ラグビーなどの

集団スポーツで力を発揮させています。

W杯ラグビーの日本代表の

集団での強靭さ、自己犠牲の精神、

勤勉さは、まさに日本人の特性が

あふれ出ていた瞬間だと思います。

 

「神」という絶対的な存在を

意識しなくても、自分の隣にいる人

と協調するために日本人は

倫理を守ることができる、

そういうことでしょうか。