日本人の多くはキリスト教やイスラム教のように

唯一絶対の神を信じるという信仰はありません。

 

「お盆には墓参りをする」「お正月には初詣に行く」

といった形で神様・仏様を身近に感じる風習は

ありますが、個人差はあれ、日常的に神を意識する

生活を送っているわけではない人が多いと思います。

 

しかし、多くの日本人が「無信仰・無宗教」とは

言えないと思います。

 

信仰の歴史を調べてみると、

キリスト教やイスラム教のように、

一神教が生まれる前は「多神教」

というものがあったようです。

「ギリシャ神話」では12神があり

日本の「古事記」では多くの神様が登場する

話があって、「八百万(やおよろず)の神」とも

言われています。

 

さらにさかのぼると、人の形をイメージ

したような神様ではなく、木や石や山や

その他さまざまなもの、この自然の中に

存在するすべてのものに霊魂が

宿されている、と考えられていて、

そのことを「自然崇拝」と呼んでいます。

 

「自然崇拝」は「アニミズム」とも呼ばれ、

「アニメーション」の語源ともなっています。

一枚の紙に書いた絵がまるで命を宿したかの

ような動きを見せてくれるからです。

 

一番古い信仰の形が「自然崇拝」=「アニミズム」

であり、それは世界中で見られた現象であったと

言われています。

それから世界では「多神教」→「一神教」

と信仰の対象が発展していったわけですが、

日本には、未だに「アニミズム」の感覚が

色濃く残っていると言われています。

 

どうしてそんなことになっているかと言えば、

理由の一つには、日本が地理的には四方が

海に囲まれていて、さらに「極東」と言われるように、

いわゆる僻地(へきち)にあったということ。

仏教は奈良時代に伝わったと言われていますが、

キリスト教のように一神教の教えではなく、また

異民族が日本を侵略して、その民族の宗教を

押し付けられたという歴史もありません。

これは地理的にそういう危険にさらされることが

少なかったから、ではないかと思います。

 

地理的優位性のことで言えば、日本には

春夏秋冬のはっきりとした四季があり、

その気候はとても温暖であるということ。

「雷」「大洪水」「暴風」「地震」といった

自然の驚異は「神の怒り」と考えられていた

わけですが、日本では「灼熱の砂漠」とか

「極寒の大陸」のような、人間が暮らすには

厳しすぎる土地柄ではなく、逆に自然の恵みが

作物の豊作を保証してくれるなど、穏やかな

神々(と考えられるもの)に見守られて

生活する、という感覚が優っていました。

ですから、「自然の驚異」=神の怒り=神は試練を与える

存在、という一神教にある物語が日本にはなじまなかった

のではないかと思います。

 

これはある意味、日本人のアイデンティティーに

強い影響を与えたことの一つであろうと思います。

 

日本では「カースト制」のような過酷な身分制度が

あったわけでもなく(従って来世のために、より良く

現世を生きる、という考えも根付きにくい)、

「一神教」のような神との契約によって自分を律する

必要も薄いのに、どのような動機で

集団性を維持しようとしたのでしょうか。

 

つまり、このような国民性である日本人が

どういう理由で「倫理観」を身に着けようとするのか、

といったことを次回に考えてみたいと思います。