キリスト教とイスラム教における

「倫理」との関係ですが、

まさに教義に従うこと自体が

「倫理」ということであろうと思います。

 

キリスト教とイススラム教の衝突って、

世界史のいろいろな時代で見られるので

非常に相性の悪い者同士だと

思っていましたが、どちらも

もともとユダヤ教という宗教から

派生していった宗教です。

 

ユダヤ教には「聖書」があり、

どうやって現在の世界ができたのか、

ということが書かれています。

「古事記」にも日本ができるまでの

物語が書かれていますよね。

 

聖書では、たった一人の神様が

この世の全てのものをお造りになった

とされています。「天地創造」と言います。

「神様」は人じゃないので

「一人」という呼称は違う

のかもしれませんが(笑)

 

神は6日間で自然の万物を作り、

7日目には「安息日」として

お休みになりました。これが

1週間の成り立ちですが、アダムとイブ

という「人間」は6日目にお造りになりました。

 

万物を創られた神の命令は絶対で

アダムとイブも神に従わなければ

いけません。その命令の一つに

「善悪を知る果実」を絶対に口にしないこと。

ところが、アダムとイブは命令に背いてしまいます。

 

怒った神はイブには出産の苦しみを、

アダムには労働の苦役をそれぞれに

与え、永遠の命を奪って、

エデンの園から追放しました。

 

それ以来、アダムとイブの子孫で

人間である私たちは、神の命令に

忠実に従い、生きていくことで

罪を償うこととなったのです。

 

要するに、現世に生きている人間は

もともと罪を犯した人間たちであって

罪を償いながら現世を生き、

生き終えたときに「最後の審判」、

「良き行いをしていれば天国」へ、

「悪き行いをしていれば地獄」へと

神の思し召しで導かれる、という

ストーリーなのです。

 

また、聖書の中に「モーセの十戒」

という、神がモーセに守るべき約束、

十戒を授けます。そのなかで、

①父母を敬え

②人を殺すな

③姦淫するな

④盗むな

⑤嘘をつくな

⑥隣人の家を欲するな

と、ここでも人間が守らなければいけない

「倫理」的な教えが書かれています。

人間の欲を抑えるための「倫理」的な

ふるまいを求められているのです。

 

イスラム教では、キリスト教では

求められていない日常行動の中の

決まりというものがあります。

「戒律」といわれるものです。

日に何度か行わなければいけない「礼拝」

決められた期間食べ物を摂ってはいけない「断食」

などがその例です。「ブルカ」などの衣装もそうです。

これらも神からの命令によって

行われている行動の様式なのです。

 

キリスト教やイスラム教は

全知全能の唯一の神のみに

仕える、信仰するということで、

それを「一神教」と呼びます。

 

日本でいう「八百万(やおよろず)の神」

という考え方とは違う考え方です。

1対800万ですから。

 

私も日本人ですから

一神教の感覚というのが

今一つ分かりません。

ですから今回の記事も

苦しみながら、なんとか

自分なりに解釈して

お届けすることができました。

 

次回は、一神教が根付いていない

日本人がどうやって「倫理」的な

暮らしを維持しようとするのか、

というところを書いていきたいと思います。