人間にもともと備わっている

欲望や誘惑などの本能的な

部分に「重石(おもし)」を置かないと

集団性は破綻してしまします。

集団性を維持していくためには

「自分はこうしたい」と思うことを抑えて

「譲り合ったり」「助け合ったり」

することがひつようだからです。

 

では、人間は何を「重石」として

「倫理」というものを確立していった

のでしょうか。

 

私がいろいろ調べた中で

しっくりきた理由を今から述べます。

 

「倫理」が生まれるきっかけとなったものの

ひとつが「宗教」です。

宗教が指し示す大事なものの中に

「自分はどこから来てどこへ行くのか」

ということへの回答があります。

 

昨日まで生きていた家族が

ある日突然動かなくなった。

肉体は昨日のまま、そこにあるが

言葉をかけても返事をしない。

 

彼は一体どうしてしまったのか。

どこかへ行ってしまったのか。

 

そもそも、自分はどうして今ここにいるのか。

自分はどこからここへやってきたのか。

ここに来る前はどこにいたのか。

 

このような謎に宗教は答えてくれました。

 

インドで生まれた宗教には「輪廻転生(りんねてんしょう)」

という考えが根底に流れています。

今この世の中(現世)の前(前世)があって

死ねば(来世)へ行く。

(現世)の自分の境遇は(前世)の結果である、

したがって(来世)でよりよい生をえるために、

今(現世)で善い行いをするのだ、と。

 

紀元前1500年ごろ、インドには

「カースト制」という厳しい身分制度が

ありました。生まれた身分で死ぬまで生き、

職業や結婚などには制限が加えられる。

現世では変えられない境遇だが、

来世ではより高い身分に生まれることを

望んでより善く生きようとしたわけです。

 

カースト制が成立した当時、

「バラモン教」という宗教も生まれました。

バラモン教から仏教とジャイナ教という

宗教が生まれたのですが、

ジャイナ教には今の「倫理」にも

通底するようなことを修行として

守ることとされました。

 

①生き物を殺さない

②真実の言葉を語る

③盗まない

④淫事を行わない

⑤何物も所有しない

 

どう思われますか?

現代の倫理にも通じるような

内容だと思いませんか?

 

では、ほかの宗教ではどうでしょう?

次回、キリスト教とイスラム教について

書いてみます。