歳を重ねるとはどういうことか、って

それは人それぞれなんでしょうけど、

私も自分の好きなアーティストから

まなぶことがあります。

 

私のブログを読んでくださっている人は

何度もその名前が出るので

聞き飽きた感があるかもしれませんが

 

小学6年生の時に初めてその存在を

意識し、それ以来ずっと追っかけてる

人たちがいます。

 

YMOのお三方です。

先月もこの写真を使いましたね(テヘ)

 

私が小学6年生の時は1980年。

今思えば、時代的にはバブル期を目の前にして

ワクワク、ドキドキ、クラクラの時代だったと

思います。

この頃、小学生だった私たちの生活に

大きな影響を与えたもののひとつに

「コンピューターゲーム」がありました。

喫茶店にはテーブルにはめこんだ

インベーダーゲーム、家の中では

任天堂が発売した「ファミコン」など、

子供はもちろん、大人たちも夢中になって

ゲームにのめり込んでたものです。

 

あのゲームの「ピコピコ音」をベースに

音楽を作っていた人たちの一組が

YMOのお三方でした。

 

 

お三方は、H氏とS氏の確執などもあり、

私が中3のときに”散開(解散)”したんですが、

その後、何度か一緒に演奏する機会もあり、

LiveやTVで鑑賞させていただいておりました。

再結成時には散開当時の確執について、

インタビューされることもありましたが、

当事者のH氏は、「若いころはそういうもんですよ」

と詳しい経緯について、口を開くことは

ありません(当たり前ですね)。

 

YMO時代の30歳代では

血の気が多すぎて(かどうか知る由も…)

相手の考えややることなすこと、

行き違いもあったりして、

摩擦も大きく、衝突することも

あるでしょう。だけど、歳を重ねて

還暦を迎えるぐらいになると、

そういうことはどうでもよくなるみたいです。

 

さて、H氏はYMO散開後も

ピコピコ音楽にとどまらず、

民族音楽、環境音楽など
とても幅広い分野の音楽を

追究されていました。

 

年齢とともに作る音楽が変わる

というか、そのときのご自身の

身体性・精神性にあった音楽を

追究されていたのではないかと

思います。

 

YMO世代の私としては、

あの頃のピコピコ音楽の

進化したものをもう一度

やってほしい、と願う時代も

ありましたが、H氏は

まったくそういうものを

やりませんでした。

 

H氏30歳代、私小6のときの

若い肉体なら、ピコピコしていた、

あのテンポやリズムが

超気持ち良いのでしょうが

H氏70歳代、私もうすぐ50歳

という年齢では、霜降りステーキでは

胃がもたれるのと一緒で、

(いい肉は大丈夫だよ、とかそんなの無しね)

その歳の肉体や精神に合った

音楽というものがやっぱり良いんですね。

 

ということで、今H氏は、50年代の

ジャズやポピュラーをカバーしたり、

ご自身でもオリジナルでこんな曲を

書いたりしておられます。

 

 

こういうのが今の自分にもとても良くて

はまってるんですね。だから、

若い人には物足りないかも?

 

もちろん、たまにはピコピコ聴いたりもしますが、

30~40年ずっとあれでなくてよかった、と、

やっぱり思います。

1980年当時に活躍してた外国アーティストが

数十年ぶりに来日コンサート、なんていって

TVで見たりしますが、今も当時とまったく

同じことをやってて、全然違ってガッカリ、

ということも多いですもんね。

 

やはり精神は、そのときの肉体や時代性に

左右されるものであるし、そういうふうに

変化していかなければいけません。

(いつまでも若くいたい)(老いが怖い)と

抗っていてはいけないんだ、と

細野さんから教わりました。

 

そのほうが楽に生きれますしね。