今回は、ケアマネジメントプロセスの回をお休みして
先週TVで盛んに流されていた「相模原やまゆり園」
をテーマに取り上げたいと思います。
事件は皆さんご存じだと思いますが、
「障害者は生きている価値がない」
という考えを持った一人の人間が
施設に暮らす障害者数十人に刃を向け
多くの命を奪った事件です。
あれから1年、ということで、
多くの番組で取り上げられていました。
とある番組の中で、視聴者からの意見
ということで、いくつかの便りが紹介されましたが、
実に「加害者の考えに賛同する」という
意見が複数あったことが驚きでした。
番組に出演していた障害者の関係者は
もちろん反論を述べていましたが、
あからさまに、こうして障害者を差別するような
発言を取り上げて紹介するのはすごいなあ、と
思いました。負とされる部分も包み隠さずに
取り上げる番組関係者の姿勢に敬服しました。
いろいろと考えるきっかけになりますしね。
こうしてブログの記事にもしようという
モチベーションアップの機会にもなっている
わけですしね。
前置きが長くなってしまいましたが、
このようないろんな意見に対して
私が思っていることを包み隠さずに
書いておこうと思います。
「生産性のない障害者はいないほうが良い」
「税金を使ってまで生きる価値がない」と
かなり辛辣な意見が見られましたが、
これらの意見を聞いて、私は
(この人達は損得勘定だけが
至上の価値だと思っているんだな)
と思いました。
世の中にはお金以上に大切なものが
山ほどあるでしょうに。そこに考えが及ばないほど
貧しい生き方をしてきた人たちなんだろうな、
と本当に憐れでなりません。
別の視点で考えると、人間には
ねたみ・そねみ・ひがみといった
感情が必ずあります。
人と比べて一喜一憂するのは
人間であれば必ず持っている習性です。
だから人は誰かより優位に立ちたい、
と思うものです。それが人情です。
障害者を差別する人達は
(自分より劣位にある)という対象を
障害者に向けているだけです。
これは昨今問題になっている
ヘイトスピーチにも通じるものだと思います。
思い出すのが在日の人たちへのもの。
(自分たちは優秀な純日本人)だと
ごくごくちっちゃな優越感を振りかざし、
それだけしか誇れるものがないものだから
ほかに優位に立てる条件がないものだから
そういう行動を取ってしまっているわけです。
実に憐れ。こんなに憐れな人たちが
いるんですね、この世の中には。
彼らの言うとおり、
仮定として障害者は
何も生み出せない弱者と
想定しましょう。だとしたら、
そういう弱者は幸せに暮らせない
社会ってどんなに貧しいものか。
日本という国はそんなに
心の貧しい国でしたっけ?
東日本大震災でも皆が助け合って
支え合う姿を見て外国が感嘆
していたではないですか?
日本という国も借金が膨らんで
社会保障費に回すお金を工面するのも
大変な状況ではありますが、
こういうところから「プライド」とか「誇り」
というものが生まれるのだと思います。
「武士は食わねど高楊枝」ではないですが、
貧しくてもプライドを離さず生きていくのが
日本人の美徳と言われるところじゃないですかね。
さて、ここまで言って、もう一つ
反転させるようなことを言います。
こういった憐れな人たちへ
「そういう考えを直しなさい」とは
私はまったく思ってもいないんです。
そういう考えならそうか、仕方がない。
障害のある人たちが幸せに生きるためには
多様な価値観がないといけないと思います。
たとえば、さっきのように
損得勘定だけが意味あるものだとしたら
障害のある人たちの生きる意味は
失われてしまう可能性がある。
幸せの物差しはそれだけではないから、
障害がある人だって幸せに生きていける
と考えられるのです。
多様性というのはこのテーマの
キーワードだと思います。
だから、障害者を差別する人の考えを
正そうとは思わない。
私ができることはただただその人たちを
哀れみ、同情し、軽蔑すること。し続けること。
そして自分は貧しくても誇り高く生きていくこと。
そういうことを考えさせられた
この1週間でした。