今日はひさしぶりに
ケアマネの仕事をしてて
感じたことでも書きますか?
杉浦さん(仮名)、80歳は、
脳梗塞で5年前から不自由な
生活を送っています。
始めに発症したときは
もう一人暮らしはできないだろう、
ということで福岡に住む娘さんの
ところで2人暮らしを始めました。
でも、杉浦さんはふるさとの生活が
捨てられず、戻ってきました。
利き手の右半身が動かしにくいので
サービス計画書にサインするのも
ひと苦労です。
そんな杉浦さんですが、
正月早々に脳梗塞を
再発させてしまいました。
主治医の先生は
「食生活や水分摂取に問題あり」
と言いました。
たしかに多少の自炊はするものの、
総菜を買ってくるのが主でした。
週2回のヘルパーさんの食事作りでも
不十分。
水分摂取も気をつけているというものの、
必要量にはほど遠く、
毎日晩酌を欠かさないので、
よけいおしっこになって出てしまいます。
見た目には麻痺が進行しているようには
見えませんでしたが、本人の感覚では
明らかに足に力が入らない、と。
(もう、在宅生活は無理かな…)と
本人も言うほどでしたが、
少しずつ元気になるにしたがって
自宅での生活の意欲が戻ってきました。
心配する娘さんや主治医の先生、
近所の人が取り巻く中で
杉浦さんは「在宅生活」の決意を
訴えました。
周囲の理解と協力を得ることに
こぎつけた杉浦さん、
退院したあと、自宅を訪問しました。
夕方だったけど、
もう飲んでた(笑)
「ちょっと心配だけど、
頑張りましょう、杉浦さん」
と声をかけると、酔った勢いなのか、
突然「わーわー」泣き始めました。
「この家は苦労して建てた家だけ」
と杉浦さんは言ってくれました。
途切れ途切れの話に耳を傾けると、
自分は体があまり丈夫ではなく、
定職に就けなかったと。
理容師をしていた妻に
苦労をかけてしまったこと。
妻が早くに亡くなってしまったのは
自分のせいかもしれない、と。
でも、2人の子供はちゃんと育てたいと
苦労して大学まで行かせたんだと
そう話していました。
そういう思い出のたくさん詰まった
この家は俺が守るんだ、と
杉浦さんは泣きながら言いました。
2人の子供は県外で暮らしていて
もう帰ってくることはないと知っているけど
でも、やっぱり自分にはこの家がいいから
と、そう言いました。
私はただただ話を聞いてあげることしか
できませんでした。
「早く死にたいわ」と言う杉浦さんでしたが、
少しでも長く、そして不自由なく、この家で
過ごすことができるように手伝うからね、
と私が言うと、杉浦さんは私の手をただただ
握り続けてくれました。