今日はどうしても

このことを

書かなければいけません。


先週月曜日に

漫画家の

水木しげる先生が

亡くなられました。


私の住まいは

水木先生の出身地と

日本列島を俯瞰して見れば

目と鼻の先。

車で40分程度の

ところにあります。


その出身地は

水木先生の代表作、

「ゲゲゲの鬼太郎」で

町おこしを大成功させた街で

近くの空港の名称も

現在は「鬼太郎空港」を

名乗っており、

その街へむかうJR線の

駅名はすべて鬼太郎に

出てくる妖怪の名前を

使っているほどです。


ただ地元出身の有名人だから

取り上げてる、ってだけではありません。


水木先生は日本各地に

言い伝えられている、

普通は目にできない「妖怪」

というものを形作って視覚的に表現された、

という功績を評価される方がいます。


日本人は古来から

「万物に神が宿る」という

アニミズムという信仰に近い

感覚を精神に宿しています。


そんな感覚を持っているからこそ、

日本人は万物に畏怖の念を持ち、

自然に抗うことなく共存してきた歴史を

育んできたのだと思います。


詳しく知っているわけではないのですが、

「妖怪」というものの存在は

そういう精神から生まれてきたものだと

思っています。


世の中には人の理解を

大きく跳越える理解しがたい

現象が起こることがあります。


分かりやすい例で言えば、

自然災害などがそうでしょう。


理解を超えた現象が

自分の目の前に起きると

人は不安になります。


理解しがたい出来事が起こったとき、

「何かの(誰かの)力が働いた」

ということで決着をつけることで

精神の安定をもたらします。


「妖怪」というのは、その

「何か(誰か)」と考える

存在のひとつなのだと思います。



ケアマネジャーとして

「人の死とはどういうことか」

ということを考え続けています。

「死は恐いもの、嫌で嫌いなもの」

というイメージは持っています。

生物としての本能があるがゆえに

(死にたくない)という気持ちは

当然もっています。


しかし、死を避けることはできないし、

死にゆく人やその家族と

関わらないわけにはいきません。

当然、プライベートにおいても、です。


あるとき、水木先生の作品を読んで

「生きるとは、死ぬとは」の問いに対して、

ひとつの回答らしき感覚を持ちました。


以前ブログにも書きました。


それから、私はすこしだけ、

ほんの少しだけですけど、

成長したような気がしています。


私は日本人であるがゆえに

水木先生のおっしゃりたいことが

理解でき、気持ちの整理をつけることが

できたのだと思っています。



水木先生が亡くなられたニュースをみて

まだ封を開けていない先生の作品が

自宅の本棚に残っていることを

思い出しました。





これを機に私の家にある水木作品を

もう一度読み返してみようと思いました。