役割についてのお話を再開します。
こんなことを書いて終わっていました。
実は、
こんな”役割”というものがあることを、
とある本が教えてくれました。
~~~~~以下、引用
末期の親をもつ娘の正直な気持ち。世界中の母親たちに向かって言いたい言葉である。「ママが病気になって悲しくないといえば嘘になるけど。でも、ママは生きていてくれるだけでいいのよ」
私を抱きしめ、微笑みで安心させてくれた母。おしめを替えて、清潔に気を配ってくれた人だ。怖いときにしがみついた膝も、ご飯をつくって食べさせてくれたその手も懐かしい。その人が弱くなってしまい、もう何もできなくなってしまうのはとても悲しいことだった。でも、それでも生きていてほしかった。
~~~~~(『逝かない身体~ALS的日常を生きる』より)
ALSの母親を介護する娘の手記です。
寝たきりの人がどんな役割を
果たすことができるか、ということですが
引用したこの著書では、
寝たきりの母親が実娘に対して
立派な役割を果たしています。
「母親はいつまでも母親」。
母親にはけっしてなれない私は
時折、妻と子供の関係を嫉妬
することがあるのですが(苦笑)、
それはさておいて、この本の中の
母親は何かをしてくれる存在では
なくなっているのですが、
娘にとってはやっぱり母親のことを
大切にしています。
こういった関係は、
介護される母親と
介護する子供の中にだけある
ものではありません。
私のような男親でも当然
子供のことはとっても大事です。
子供が私に何かをしてくれるでも
ありませんが。
いなくなってしまうと、
途方にくれ、慟哭さえ
することでしょう。
ふとしたときに
いっしょに飲みに行く親友だって
そうです。いつもの私の日常の中に
いつも彼がいるわけではありませんが
どちらともなく声を掛け合い、
なんとなく過ごす時間が
自分にとってはとても大切だって
思うことがあります。
芸能人に元気をもらうって人も
いるんじゃないですか?
(あと1時間仕事に頑張って帰ってから
あの人の出てる映画を観るぞ)
みたいなことって。
芸能人が私に何かを
してくれるわけでもありませんが、
それで頑張れるってことも
あると思うんです。