新卒で社会人として初めて勤めた職場。
それがAさんのいた特養でした。
勤め始めて5年目にその職場を
去ったわけですが、
新しい施設に1年事務員として、
さらに別の施設に2年半、
さらにさらに別の施設に1年半。
そしてとうとう私はその社福法人を
退職することになります。
いろんな先輩たちがいましたが、
なかでもAさんから学んだことは
たくさんありました。
私が退職したときの施設と
Aさんの施設は別でしたが、
退職するその日、私はAさんに
やっぱり感謝の言葉を言いたくて
Aさんのところに訪問しました。
そしてなぜか涙があふれてしまいました。
私の姿を見かけるたびにAさんは
「ちょっとは大人になったか」とか、
「そこで芽を出してがんばれよ」とか、
たくさんの言葉をかけてくれました。
ずっと気にかけてくれたAさんの
気持ちに最後まで応えられなかった。
今思うとそんな涙だったのかな。
イヤ、いまだに分かんねえ。
Aさんとは年賀状のやりとりだけに
なっていましたが、律儀にいつも
送ってくれました。
「ちょっとは大人になったか」
「そこで芽を出してがんばれよ」って
年賀状でも言ってくれてる気がして。
でももう、Aさんからの年賀状が
届くことはありません。
Aさんとのことを書き始めた9月半ば、
Aさんが亡くなったことを聞きました。
実に父親の命日の次の日でした。
60歳で定年退職を迎えたあとも
再雇用で施設長を続けておられ、
体調が悪くなる6月ごろまで
仕事をしておられたようです。
2年前にケアマネの更新研修で
私は講師、Aさんは受講生として
再会しました。
Aさんは施設長で法人理事でしたから
「なに、冷やかしに来てるんですか?」
と、笑ってしゃべったのが最期に
なってしまいました。
「大造、おまえ、何歳になる?」
「45です」
「そうか。いっしょに仕事した頃の
おれと同じぐらいだな。
俺の苦労が今なら分かるだろ」
「そんなに苦労かけましたっけ?」
告別式に参加しましたが、
棺の中に収まっていたAさんは
私の知っているAさんとは
まるで別人のようでした。
私の知っているAさんは
ロマンスグレーを通り越した白髪で
毎週末に出かけるゴルフで
白くなっている暇がないほどの日焼け顔で
くわえタバコから出る煙が目に入るのを
避けるためにしかめた目をしながら
「大造、おまえは死ぬまで働かんと
いけんだけな~」って、
自分は世の中の道理を
ぜんぶ知っているような
えらそうな顔をして
でもどこか憎めない兄貴
みたいな人でした。
あの世でもそんな口調で
やってるのかな。
Aさん、
俺も死ぬまで働かんと
ダメみたいですわ。