特養の介護現場3年の経験を経て

4年目に私は事務員になりました。

そこで私は福祉制度について

学びました。


当時は措置制度といって

月初めに何人在籍しているかによって

国からお金がもらえる制度でした。

その請求事務をしたりしていました。


また、身体障害者福祉制度や

生活保護制度、医療保険なども

仕事をしながら学ばせてもらいました。


地域福祉担当になった年に

社会福祉士の資格を取ろうと

思っていて、ちょうど制度について

勉強していた時期だったので

実務の仕事をしながら

(本に書いてあることは、これかあ)

などと1人うなずいたりしていました。

勉強しながら給料をいただく。

こんなに有り難いことはない!




社会人としての気概を

学んだのもこの時です。

介護現場では若い男の子、

ということで、やっぱ甘やかされてた

んだと思います。


こんなことがありました。




社会福祉士の通信課程には

1週間のスクーリングが課せられてて、

第1回目が12月1日~7日まで

というスケジュールでした。


ちょうど毎月1日は国へお金を

請求する事務があり、必ずその日に

各市町村へ請求書を送らなければ

いけません。

しかし、スクーリングに参加するためには

前日の夜には現地入りしなければいけません。

車で5時間はかかるところです。


私は(仕事に活きる資格を取るためだし、

今回の請求はA課長が協力してくれるだろう)と、

今考えるとひじょうに甘い甘い、

そして恥ずかしい考えを持っていました。


12月1日の前々日ぐらいだったでしょうか、

そのように話をすると、「お前、責任持ってやれ」

と言われ、目の前が真っ暗になりました(笑)


それでも、前日にひととおりの書類を整えて

もし、それまでに入所者の移動があれば

Aさんに手直ししていただくということになりました。

結局、Aさんの手をわずらわせてしまう

ということにしかならなかったんですが、

1人仕事の事務員。基本、助けてくれる人はいない。

介護現場のように代わりにフォローしてくれる人は

いないということが、この時に分かりました、


仕事の責任って、こういうことなんだな、

って思いました。もちろん、

当時は(上司、このやろ…)とか

思っていたと思いますけど(苦笑)




そんな感じで社会人としても

成長を感じた1年でしたけど

しかし、なんと、

ここでも順風満帆という

わけにはいかず、

またしても1年で異動になります。

その理由は、やっぱり私にあります…orz