今日は「自立支援を考える」を

お休みします。

実は先週末に実母が亡くなり、

1週間慌ただしくしていました。




私たち家族は7人家族で

3世帯同居でした。

今どきでは珍しい

家族構成ですよね。


母親は2年半前から癌を

宣告されましたが、

その場で治療も入院もしない、

といいました


そんな母親の希望を

叶えてやりたいと

私はすぐに思いました。


私は在宅生活を支援する

ケアマネジャーです。

「家で暮らしたい」という

母親の願いを叶えない

わけにはいきません。


「住み慣れた家で最期まで」

ということを母親が希望した以上、

私のプライドにかけても……

というか、母親がそう思ってくれたことは、

絶好の親孝行のチャンスでもあったわけです。


自分の経験や知識が

活かせる場面なのですから。




ただ、こんな私にも

経験不足だったことが

実はありました。それは

「利用者の家族になること」です。


それはそうですよね。

一般的には自分の両親の2回のみ。

多い人は配偶者の親とか、

祖父母とかもあるでしょうが、

利用者の家族を経験することは

そう多くはありません。


それはそれは貴重な体験でした。




母親は亡くなる3か月前に

「靴下を履かせて」と言って、

いよいよ介護保険を利用する

状態になっていきました。


それから1ヶ月ぐらいで

シャワーチェアを購入したり

歩行器をレンタルしたりしました。


自宅で入浴介助もしたんですが、

私一人の力では、きっと参っていた

だろうな、と思います。

仕事をしながら、家に帰って

入浴介助ですからね。

何に救われたかというと、

妻の存在です。


妻は10年ほど介護施設に

勤めており、手際の良い

介助にかなり助けられました。

妻は仕事して、家事をして

その上の介護ですからね。

はっきりいって俺より大変です。


痛み止めの麻薬を貼って

意識レベルが少し低下していた母親は、

最後は認知障害も来たしました。

でも、「こういうのが好き」と言って、

妻は上手に対応してくれました。


特別仲の良い嫁姑だった

わけではなかったと思います。

間にはさまれてしんどい思いを

経験した覚えもあります。

ガチンコでぶつかることは

ほとんどありませんでしたが、

どこかよそよそしく、

他人行儀なところがありました。


4~5ヶ月ぐらい前に私は

自分の思いを綴った手紙を

妻にあてて書きました。

世話を手伝ってもらわないと

自分が潰れそうになると

直感したからだと思います。


亡くなってから1週間、妻と

母親の介護の思い出を話します

同じ思い出を共有できることは

母親が亡くなったショックを

少し和らげてくれるものである

ということを学びました。


姑を自宅で送る、という

嫁の務めをきちんと果たしてくれて

私も嬉しいですし、妻にとっても

よかったのではないかと思います。


あ!こんな自己満足的な発言は

妻には聞かせられません、

内緒にしておいてください(笑)




職場には母親のケアマネジャーに

なったことも言いましたし、

よく利用させてもらっている

デイサービスにも行かせました。


そういえば介護保険を申請したときも

役場の人とは顔見知りなので

自分の母親のことを知られて

恥ずかしい思いでしたね。

(家族ってこんな気持ちなんだ)

と改めて思いました。




最後に子供たちのことも

書きたいと思います。


私には高校1年生になる長男を頭に

4人の子供がいます。

在宅死が激減している現代で

(人は死ぬ)ことを身を持って

経験させたかった、とも思っていました。

妻への手紙にもそんなことを書きました。


私が中学2年生の時、

自宅で祖母が亡くなりました。

その経験が今の職業にも

関係しているかもしれないですし、

母親の献身的な介護を身近に見ていたので

今回、母親を自宅で看ることを決意した

ということにもつながっているかもしれません。


日に日に弱ってくる母親を

子供たちは遠巻きに見ていた、

そんな感じがします。

小学校2年生の娘だけは

無邪気にしていましたが。


いよいよ臨終の時、

長男は間に合いませんでしたが、

下の3人は手を握ってお別れしました。


あの経験が今後子供たちに

どう影響するか今はわかりません。


ただ、なにかしらそれぞれが

感じてくれたのは間違いないと思います。




そういう意味で、母親は最期まで

立派な存在でいてくれました。


いろんなことを遺してくれました。


私は「最後の親孝行」と思っていましたが、

こんなにたくさんのことを経験させてもらい、

考えさせてくれた2年半でした。

母親に最後まで教えられた、というほうが

正しい見方なんでしょう。


本当に母親には感謝の気持ちでいっぱいです。