「自立支援」と「生活の質」シリーズを

続けているところですが、

どうしても書きたい話があったので…。




昨日、妻に言われてPTA研修会、

「人権について」というのに出てみた。


学校の先生のお話では、

数ある人権の中には

「高齢者の人権」ってもんが

あるんだそうだ。




最近、「自立支援」のシリーズを書いていて

ひねくれた思考回路になってしまっている

私はグループワークでこんな話を持ち出した。


「私は、高齢者関係の仕事をしていますけど、

よく『高齢者の人権が守られていないこと』って

たくさん見るんですよね」


「老人ホームに入る人の人権って

守られていないように思うんですよね。

家族の都合で入る人って多くて」




言葉に詰まる司会者。

そばにいた主催者側の保護者が

(この場は俺に任せとけ)みたいに

こんなことを言った。


「老人ホームに入るのがしかたがない場合もあるし、

『お金さえ払っとけばいいか』みたいな場合もある。

後者だったらダメだけど、前者だったら面会に

頻繁に行くとか、いろんな方法があるんじゃない?」


私は間髪いれずにこんなことを言ってしまった。

「私が思うのは、その人がどうしたいのか、

というのを守るのが人権でしょ。

それはその人の尊厳を守る、ってことになる。

『家で暮らしたい』という意思が尊重されないことは

尊厳が侵されるっていうことじゃないです?」


思った以上に場が凍りついた(笑)




そのあと、舅を施設に入れていた

先生が「それを聞いてハッとした」

といったので、初めて自分が

(不味いことを言った)と気づきました(笑)


人権研修会なんて、いつもありきたりの

話で終わってしまうので、ちょっとした

話題提供をしようとサービス精神を出したのが

大いなる失敗に終わりました。




さて、

「高齢者を老人ホームに入れること」は

人権を侵すことになるのか。


それについては賛も否もあると思うので

はっきりした意志は表明しませんが、

人権っていうのは、いとも簡単に

脅かされたり、侵されたりするもんだと

私は思っています。


人と人とがごった煮で暮らしている以上、

Aさんの権利とBさんの権利が

相反することなんて日常茶飯事。


施設に入れたと言われた先生は

「認知症で暴力があったから」と

説明されましたが、舅が家にいたら

おばあさんの安全に暮らす権利が

脅かされていたわけです。

その権利を守るために、

おじいさんの自宅で暮らす権利を

奪ったということになるわけで。




この研修会では、わが子の人権学習で

学んだノートが保護者に配られていました。


これって、子供の許可はとったのか?

「親に見せても良いですか?」って

断ったのか?

「読まれたくない」子供の権利を

ないがしろにしていないか?


私は親だから見ても良いと思っています。

「わが子の学んだことを知る」権利は

親だから、あってしかるべきです。




ほ~らね、やっぱり権利は

いとも簡単に侵害されてしまうでしょ。




だから、

「人権は大事です。

誰にも侵害する権利はありません。

他人を大切にすることは、

自分を大切にしてもらうことです。」

なんてこと言っても、どうなの?


「ウソじゃないの?」までは言わないけど、

「そんなこと言ってて何か利益になるの?」

って思ったわけです、身も蓋もないことを。




それを言うなら、もっと現実的に

「人権を奪うことは日常茶飯事です。

ほら、こんなことがあるでしょ。だから、

自分の行動に注意して生活しましょう」

のほうがいいんじゃないかな?


そのほうが、毎日の生活を

謙虚に振り返りながら

送ることができるんじゃないかな。


(今のはまずかったかな?)って

謙虚に振り返ることは、そのとき

同時に相手がどう思ったか、

推し量ることになるわけですから。


(相手のことを思う)ってのは、

こういうことじゃないかなって

思うんですよ。


「人権学習を山ほどやった。

だから、自分の行動に間違いはない。

大丈夫」って傲慢に、ではないけど、

振り返りもしない生活を送ってしまう

ことになるんじゃないか。






…なんてことを帰って妻に言ったら

「”ウザ”って思われるだけだよ」って

言いやがった。




PTAの研修会なんて

もう行かない(笑)