「自立支援できた」と感じた例、
「生活の質が上がった」と感じた例、
そのそれぞれを「身体」・「精神」・「社会」に
振り分けていった結果、
「自立支援」については「身体面」に
「生活の質」については「社会性」に
重心が移っていった結果となりました。
この結果の意味を
私はこうとらえました。
「ケアマネのあり方検討会」で
「自立支援の理念が共有されていない」
と指摘していたのは、実はその結論は
0点ではないが100点でもない。
50点の答えなんじゃないかと思いました。
ケアマネジメントの目標は、
「自立支援」だけにすえられても、
その網から漏れてしまう人がいる。
それがターミナル期の人であり、
難病の人でもあります。
また、麻痺した部分のように
障害が完治しない場合も
それにあたるかと思います。
そういった人たちの目標になるのは
「生活の質を落とさない、向上させる」
という視点であり、それは「社会関係」
が保たれる、復活する、新たに生まれる
ということで可能になるのではないか、
ということです。
同じ病を患った者どうしが出会い、
おたがいの生きにくさ、苦労を語り、
(自分だけではないんだ)と思えること。
また、できなくなった部分を助けてくれる人がいて
今までと変わらない生活が送れること。
臨終の祭には家族、親族、友人たち
多くの人に惜しまれながら逝くこと。
身体面が「自立」できなくても、
その人の社会関係があれば、
「生活の質」は保たれると思うのです。
もっというと、
身体的にはすべてにおいて自立していても、
社会関係が築けていない状態では、
その人の「生活の質」は高いのか、
甚だ疑問です。
定年まで頑張ってきたお父さんが
1日自由に過ごせるのに
出かけるご近所もない、
家族からも相手にされない。
そんなお父さんの「生活の質」は
いったいどう評価されますでしょうかね?
俺もあぶねえな(苦笑)
ということで、まずひとつの結論は
そういうことです。
次回はちょっと視点を変えて問題提起をします。