単に障害があるだけでは
マイナスとは言えない、
と書きました。
では、どうすればマイナスとは
ならない状態になるのでしょうか。
そのひとつの要件として、
私は自立していることを
挙げたいと思います。
これ、当たり前すぎて
声を大にして言うほどのことも
ないんですが^^
自立というのは、身体的に
誰の手も借りずに日常生活動作が
行えるということももちろんそうですが。
たとえば、
乙武さんは仕事を持ち、家庭を持ち
他の支援を受けずに自立した生活を
送っておられます。
こうなれば身体的、精神的に
障害があろうがなかろうが、
社会的に自立されているので
ぜんぜん問題なし、ですよね。
その昔、私が障害者の作業所に
勤めていた頃は
「給料をふやして親から自立しよう。
税金も払えるくらい稼ごうぜ!」
とハッパをかけたものです。
「税金を払う」。
これは国民の義務にもなっているくらい、
社会人として重要なポイントです。
障害に関する制度の世話にならずとも
社会生活を送っているわけですから。
しかし、多くは福祉や年金などの国の制度、
いわゆる税金を使う立場となります。
今まで国の公的な制度など受けなくても
社会的に自立していた人が、
障害を負ったためにそうはいかなくなった、
という状況に戸惑い、負い目を感じ…。
という心理状態になることは十分理解できます。
誤解を招かないようにあえて言いますが、
けっして、そのように制度を使うことが悪いこと、
使わないほうがいい、なんてことは
まったく思っていないですよ。
基本的人権を保障されている日本では、
それこそ堂々と、その権利を行使するべきだと
思っています。
…ということで、
障害を受けた母親が目指す1点めは、
他の支援を受けずに自立した状態を目指す。
日常生活機能の訓練から社会復帰まで、
障害があっても今までと同じように生活できる
ということだろうと思います。
これは、PTさんによる機能訓練や
職業支援・ジョブコーチなどが
あげられるのでしょう。
ところが、「自立を目指そう」で終わってしまうと、
自立できない場合は、先の将来を悲観する母親と
かける言葉が見つからないPTさんの憂いは
取り除けませんよね。
自立できない、世話にならないといけない
このマイナスをどう考えるか、ということですが。
(つづく)
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