さて、民間宗教者というのは、
祟りやお祓いをしてもらうときに
お願いするような人たちで
その中には占いとか占星術
とかがあるそうです。
風水などもそうでしょうか。
いっぽう、お葬式、法事などは
お寺に頼みます。それらは
教団宗教者ということに
なりますね。
つまり、私たちは
教団宗教者と民間宗教者を
時と場合によって使い分けている
ということになります。
そして、民間宗教者の特長としては
「その場、その時にしか機能しない」
「目の前にいる相手を救うことが特徴」
である、という点です。
以下、『現代霊性論』を引用します。
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(釈徹宗)
高橋紳吾さんという精神科医がいるんですけど、この人はなかなか宗教に造詣が深い人で、面白い話を書いています。あるとき、高橋さんのところに五十代の主婦が相談しに来たらしいんです。
嫁姑小姑の問題や、財産分与でずっともめていて、それが原因で心身を壊した。さらに、夫にいくらその話をしても一切聞いてくれず、毎晩ビールを飲んで寝てしまう。実は、こういうケースは非常に多く、しかも扱いにくいそうです。相談者本人は、自分の正当性を担保してくれるものがどこにもないもんですから、どこかから承認を得たいと攻撃的になってしまっている。でも、そんな話を聞いてくれる人間は誰もいないし、ムキになればなるほどますますみんな引いちゃいますよね。
ほんとうは、自分の在り方こそが問われていることに気づかなければならないんですけれど、五十過ぎて新しい人格に変容を促すというのは困難らしい。精神科医やカウンセラーでもこういう事例は扱いにくいそうです。しかし状況はけっこう深刻で、精神的なダメージがひどくなっていくのに、手も足も出ない。どこかのタイミングを見はからって、「それはあなた自身が変わらない限り、問題は解決しない」と言わないといけないのに、なかなか言えないという状態が続いていたらしいんですね。
ところがあるとき、その人が晴れ晴れとした顔で来て、急に元気になっていたんでびっくりしたそうです。よく聞いてみるとそれは、拝み屋に行ったからだった。拝み屋のおばちゃんが、ひととおりずっと聞いてくれて、「見てあげましょう。ふむふむ。けっしてあなたとご主人とは悪因縁ではない。でも、今は因縁がこじれてるから、布団の下に塩を包んで入れなさい。各部屋に赤と紫の花を供えなさい。黙って夫にビールを注ぎなさい」って、そんなことを言うらしいんですよね。
(内田樹)
具体的なんだ。
(釈徹宗)
そうなんです。その「具体的」というのがキモなんです。で、その人はそれを実行します。そしたらほんとうに事態がだんだん好転してきた。夫に黙ってビールを注いでいると、「今日はどうやった?」と話を聞いてくれるようになってきた。そのうちにどんどんよくなっていき、とうとう症状が改善したんです。
この五十代の主婦は、ただの一度も自分の問題点を意識することなく行動パターンを変えてしまった。こういう方法は、精神科医にとっては大変驚異的なやり方で、なかなかできる手法ではないらしいんですね。その拝み屋さんは伝導の勧誘なしに一回で終わったそうで、なおかつ料金も適切だった。こういう人が良心的な民間宗教者じゃないか、というようなことを高橋さんは書いておられた。これは言ってみたら、
その場、その相談者だけに適用するやり方、機能、手法です。その人だから通用する宗教的技法です。
(『現代霊性論』P74~P75 内田樹・釈徹宗)
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