A4・1枚に書かれた「経過報告」。
書かれていたものを、
ひととおり読み終えたあと、
彼は今後のことを相談したい、
と言い出し、それをきっかけに、
2つ、3つ、意見交換をしました。
話の中で他のケアマネから、
「本人の様子を少し耳にしていたので、
会議の場で話題にすればよかった」と、
他がフォローすればよかったと発言したので、
それを彼に返す形で
「会議で議題にしようと思わなかったのか」
と、切り出しました。
彼は、私の質問に対して
「家族も困っていましたし、これでは
良くない、とは思っていましたが、
会議に上げることはしませんでした」と、
最後は聞こえるか、聞こえないか
というくらいの小さな声で言いました。
この言葉で、一応、彼は危機感を
感じていたことが分かりました。
仕事のできなくはない彼のこと、
家族のおかれている状況や
ご本人の異変を感じないほど
鈍感ではない、とは思っていました。
しかし、
「危機を感じていたにもかかわらず、
SOSを出さなかったところ」が
この問題の大事なところではないか、
と思いました。
自分の力では及ばない範囲を
他の力を借りて解決する。
言い方を変えれば、
「自分の無力さを自覚して、
それを公にして助けてもらう」
という力は、ケアマネジャーに
とても大切なものだと思うのです。
「病気のことを医師に聞く」
ことを例に挙げれば、
分かりやすいかもしれません。
言ってみれば簡単なことかもしれませんが、
これはとても勇気の必要なことです。
「知らない・力が及ばない」自分を
みんなに宣言するわけですから。
ちょっとでもプライドが許さない人は、
抱え込んでしまうでしょう。
そして、ことが大きくなって
収拾がつかなくなってから
(すみませんでした)となってしまう。
これはまずい。
何がまずいって
「利用者、家族に対して」
まずいことなのです。
「利用者の生活と自分のプライド」を
天秤にかけるとどっちが重いか、
といわれれば、ほとんどの人は
正しいほうを選択するでしょうが
実際そうなってみると、どうでしょう。
今回の彼の課題は、彼だけの
問題ではない。間違った選択を
してしまう人は少なくないはずです。
「会議に上げなかった」理由が、
プライドの問題でなく、
会議に出す手間を怠けたのか、
(自分の力で解決できる)と
過信していたか、ということも
考えられますが、仮にそうだとしても
それも問題なわけです。
「会議に出しても解決しないだろうと思った」
という理由なら、信頼されていない私たちの
責任も大いにあるのかもしれませんが…(苦笑)
