最近のニュースで、いまだに整理の
つかないお話をとりあげます。
この前、小学校の統廃合に
反対の気持ちを持っていた
小学校5年生の男子児童が
自殺しました。
「私の小さな命と引き換えに
統廃合を中止してください」
男子児童は同級生に、この
統廃合に対する気持ちを同級生に
アンケートしたようです。
同級生たちもほとんどが
統廃合に反対だったそうです。
しかし、この児童の両親は
「この出来事をきっかけにして
統廃合が見直しになることは
避けてほしい」と言っている
そうです。
私がこのニュースで思ったことは、
この児童が自分の大切な命を
賭けてでも守りたかったもの、
その強い思いに共感するいっぽうで、
命を落とす方法で社会に異議申し立て
することがこのごろよく目にする気がして、
そのため、このご両親の姿勢に
本当に頭が下がる思い、という
ことでした。
前者の「命を賭けてまで守りたいもの」
その気持ちは、自分が子の親になったことで
本当に強く考えるようになったと思います。
だから、それが小学校の統廃合だとしても
「命を賭ける意味が分からない」ということは
ありません。
「命を粗末に扱う」ということではなく、
「命はとても大切なもの」だと思うからこそ、
命を賭けることで社会に影響力を与えて、
統廃合をなんとかしたかったのだと思います。
ただ、この出来事で統廃合の話が
白紙になってしまうとしたら、今後
このように異議申し立てをしたいときに
「命を賭ければ何とかなる」という風潮が
蔓延してしまう、という心配があります。
そういうことで、私はご両親の姿勢に
とても頭が下がる思いを持ったのです。
私が当事者でも、そのようにふるまう
ことができるか、ということを。
この出来事の関係者の方々のことを考えると、
部外者である私が話題にしてもいいものかと
悩みましたが、この出来事を通じて、改めて
命の意味を考える機会になったので、
記事にさせていただきました。
男子児童のご冥福をお祈りいたします。