(前回は>>>こちら。)


さて、この話はそもそも、わが家でインフルエンザが入り込んで妻がまったく動けなくなったことが始まりでしたね。

これの何が「動的平衡」と関係しているのか、いよいよお話しします。



家族生活をしていて、日々しなければいけないもの、家事などがあります。これは1週間をまとめて1日でやってしまうことはできません。誰ですか?「洗濯物は1週間まとめてやってるよ」って言う人は(笑)



これは基本的に、毎日毎日くり返さなければいけない「流れ(動的なもの)」です。これを保つことで家庭生活の「平衡」を保っています。



ところが、その重要な役割を担っている妻が動けなくなる。そういう状況でも、家事は待ったなしで処理を求めてくる。しかし、流れが滞っている。そのおかげで、おだやかな日常=「平衡」が崩れそうになっている。…という事態になっています。



それをカバーしたのが、妻の周りにある他の細胞、「私」「母親」「子供たち」なわけです。妻ができなくなった結果、周りの者たちが自分たちの役割を考えて、「平衡」を維持しようと努める作業が始まります。



これでカバーできれば、それはそれで良し。仮に、妻がこのまま寝たきりになっても(笑い)、そのまま生活を続けられることは、生物で言えば、環境が激変しても生き残っていける“進化した種”のようなものなんですね。



つまり、妻がいなくても家事が回るようになったわが家は、氷河期を乗り越えて生き延びた、ほ乳類みたいなもん、なんです^^



そして「動的平衡」の反対は、周囲の環境が変わるなどを理由にして流れが止まるとバランスを崩すことです。生物で言えば「死ぬ」ことになりますし、家庭生活で言えば「家庭生活が崩壊」ということなのですね。…ちょっと強引かな(笑)



まあ、そういう前提がないと続きが書けないのでそういうことにしますが(笑)

ですから、これが介護家族にも当てはまるように思ったわけです。



家族の一員であるお年寄りが、何らかの理由で家族の役割を担えなくなったとき、あるいは、何も役割がない人でも介護が必要になって他の家族に新たな役割ができたとき、それが今までの「平衡」を失いつつある状態、といえます。今まで良い流れだったのが、淀んだり止まったりするために「平衡」を失いつつある、というわけです。



ましてや、一人暮らしの方が介護状態になられたら、家事などは全ストップです。「動的平衡」が崩れてしまいます。



そのときに行われるのが、「他の細胞がカバー(介護)して、今までの流れ(家庭生活)を変えないようにする」ことです。それがストレスなく常態化すれば、「“進化(介護のある生活もOK)”した」ということが言えるのかもしれません。

しかし、現在の一般的な家庭は、それらを家族の中だけで完結できることが非常に難しい現状がありますので、公的な介護サービスを利用することで、「動的平衡(いままでの生活)」を維持することが目標になるわけです。



しかし、役割が変化して流れが滞る中、「動的平衡」を維持することは大変なストレスである、というのは私が今回インフルエンザ騒動で経験したとおりです。

きっと生物たちも、(環境の変化に大きなストレスを感じながら、“進化”を遂げていったんだろうな)と想像できます。なかなか“進化”って難しい。

だから、私たち介護関係者は、その困難さに共感しつつ、私たちが介入することで「止まってしまいそうな流れ(家庭生活)を維持する」=「動的平衡」の役割が求められているのだと思います。



……というお話でした。



「動的平衡」という、耳慣れない言葉で話をしてしまい、よく分からなかった方も多かったのではないかと思います。お付き合いくださいましてありがとうございます。

私の話はこじつけですし、誤読している可能性が大いにあります(苦笑)

しかし、福岡先生のご著書は、生物学のことが大変わかりやすく書かれていますので興味のある方は、どうぞお読みになってください。



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