さて、細胞はどうやって自分が何の細胞になるか決めているかというと、「となりの細胞と協調しながら自分の役割を決めていく」のだそうです。
1個の受精卵は、どんどん分裂して何らかの生物になっていきますが、はじめっから、どの細胞が何になるかは決まっていません。
あるタイミングで、「じゃあ、俺は肝臓になる」「俺は心臓になる」「俺は心臓の血管になる」「どうぞ、どうぞ、どうぞ…(ダチョウ倶楽部 笑)」みたいな感じで、他の細胞の様子を伺いながら、つまり「空気を読んで」何物かになる、ということだそうです。
この「空気を読む」ことができなくなった細胞が「ガン細胞」です。ガン細胞は、周りのことをまったく気にも留めないで、「俺が、俺が」で協調できない細胞です。その結果、壊れることも忘れてどんどん増えていく。そして、終いには個体を破壊して死に至らしめることになります。
人間でも周りと協調できない困った人を「あの人、ガンだわ」という例えをすることがありますが、それはあながち間違いではない表現かもしれません。
これは細胞レベルではなく、人間レベルに置き換えても通じるものがあります。
「自分は何者であるか」を突きとめたくて「自分探しの旅に出る」というものがありますが、それはどこを旅したって分からない。だけど、日常を過ごせば、自分が何者であるかはいくらでも分かる。
私は利用者さんから見たら「ケアマネジャー」だし、職場の人たちから見れば「同僚・上司・部下」だし、妻から見れば「だらしない夫」だし、子供から見れば「父親」で、母親から見れば「息子」、同級生から見れば「友人」、近所の子供たちから見れば「となりのおじさん」、電車で隣に座っている女子大生から見れば「エロじじい」……(苦笑)。
そう思われるようなことがあったか、どうかはさておき(爆)、相手がいて初めて自分は何者であるかが決まってくるわけです。
アリストテレスが言ったと言われる「人間は社会的な動物である」とは、こういうことなのでしょうね。社会とまったく接触が持てない人たちがおかしくなってしまったり、メールやネットで誰かとつながっていたくなる気持ち、そうでもしないとフワフワしちゃう。そんなのも分かるような気がします。
もうひとつおもしろい実験があって、ある遺伝子を取り去って、生体にどんな影響が起こるか調べたそうです。何らかの変化が起これば、取り去った遺伝子がどんな働きをするものなのかが分かる、ということなんですが。
結果がどうだったかというと、何も起こらなかったそうです。
これはおそらく、その遺伝子が行うべきことを、まわりの者たちがカバーしているのだろう、と。
細胞のひとつひとつが周りと協調しながら自分の役割を考えて立ち回れる。これはすごいですよね。
もう一度くり返しますが、人間の細胞って、つねに「捨てて取り込む」をくり返し、他の細胞と協調しながら、形やはたらきを崩さないようにしています。それを「動的平衡(動きを止めずにバランスを保つ)」といっています。しかし、ガン細胞のように周りと協調できず秩序を乱し始めると、平衡を崩し、混乱し、破綻し、破滅にいたる、ということになります。
上手くいくためには、動きを止めたり、鈍らたりしないようにしながら平衡を保つ、ということになりますね。
さて、次回は、この法則が介護とどんな関係があるのか、私の自分勝手な妄想が膨らみます(笑)
(つづく)
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