今朝、出勤した早々、
先日亡くなられた利用者さんの
ご遺族がいらっしゃいました。
「本当にお世話になりました。
よくしてもらって。私たちも満足です」
さかのぼること、ひと月半ほど前のことです。
間もなく終業、という時間に娘さんが
駆け込んで来られました。
「末期ガンの父親を家に連れて帰りたい」
という相談でした。
明日、退院する予定なので
介護サービスを受けたいのだ、と。
次の日、退院後のかかりつけ医になる
診療所の先生のところへ行って、
訪問看護と訪問介護を計画しました。
初めてご本人に面会したときには
食べ物もあまり食べられない状態でした。
顔色も土気色で、先生が言われるとおり
そう長く持たないだろうと私でも思いました。
しかし、看取りのときは私は無力になります。
社会福祉士で介護福祉士の私は、
「逝く人を看取る」ための具体的な技術を
持ち合わせていません。
医師や看護師の言われたことを
言われたとおりにただやるだけ、です。
(もっと主体的に何かできないか)と
ほぞをかむような思いをいつも感じます。
娘さんは「家で看ることを決めたものの、
どうしたらいいか、本当のところは心配なこと
だらけでした。再入院を勧めたこともあります。
でも、母親が聞かなかったものですから」
もう2度と入院はしたくない父親。
その願いに応えたい母親。
いろんなことに相談に乗ってくれたお医者さん、
看護師さん、ヘルパーさん、そして私。
いろいろ話をすることで開き直れた、と。
協力してくれる人たちがいてくれることが
在宅での看取りを不安から安心に変えてくれた、と。
「何も分からない私たちが、ここまでできたのも
みなさんのおかげです。父親も満足して
いると思います」
この時、私は思いました。
(人を看取る過程に直接参加できなくても、
貢献できる方法はいくらでもあるのだ)と。
直接的な援助で貢献できなくても、
後方支援のような関わり方でも、
家族や利用者さんに必要な支援ができるのだと、
ほんとうに強く、そう思いました。
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