内田氏はこういうことも言っていました。「成熟は葛藤を通じて果たされる」
子供が成長するためには、いろんな大人がいろんな立場から、いろんなことを聞かされることが必要だ、理路整然としていてはいけない、と言っています。
はじめは誰の何が正解なのかは分からないのが当然。いろいろ聞かされていた言葉たちが、やがて共通したことを違うように言っているだけ、ということに気づく。それが「成熟した」状態であるということです。
では、共通したそれとは何か、といえば「成熟しろ」と言っているのだそうです。つまり大人になれ、と。
表現は明らかに私の表現ですが、内容的にはそう言っていました。
これが書かれていたのは、内田氏の『街場の教育論』。教育、学びとはつまり、成熟すること。そして、成熟するためには葛藤することが必要だ。
始めの話に戻りますが、「理事を降りたい」といった彼が他の理事たちとの摩擦、つまり葛藤を避けようとしているのではないか、そして、気の合う仲間同士でおだやかに楽しくしたいだけなのではないか、ということが心配なのでした。
本人の意識にのぼらず、無意識にでも避けようとしているのであれば、そうだとしても、私は彼に忠告しようとは思いません。私には引き止める権利はないし、引き止めて、引っ張り込んだとしても、学びの場から下りようとしているのであれば、学ぶことはできないと思うからです。
もしかして、すべては私の妄想なのかもしれないし、彼は新しい葛藤のただ中へ、身を投じる覚悟なのかもしれませんしね。
賢明な彼のこと、きっとそうに違いありません。
そうであれば、頑張ってほしい、と思います。
…なんて、私がいうのはおこがましいのです。
正直に告白すると、彼の、この申し出を聞いて(俺も事務局を辞めたいな)と思いました。
活動が停滞していることは私にも責任があって、もっと団体のためになることを考えて提案していかなければなりません。でも、10年もやっていれば、斬新なアイディアが浮かぶことも、まずありません。
新しい風を入れて活性化を図ることも大切なことだし、な。
でも、ちょっと思い止まりました。それはさっきの理由からです。
もっと葛藤して、もっともがいてみよう。そうすれば、自分を成長(成熟)させることができるのではないか、と。
本当に「学び、成熟する」ことは、それだけ苦痛を伴うものなのでしょう。
責任ある立場を、自分の「学び」の場にすることを、よろしいとは思わないけど、上から「もういいよ」と言われるまでは、できることをやっていくだけだと思います。
どんなことにもね^^
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