うちの事業所は診療所が併設しているので、
診療所に入院している患者さん(=利用者さん)の
病状説明に立ち会うことがよくあります。
また、うちは高齢の患者さんが多いので、
病室が看取りの場となることもしばしばです。
今日の病状説明も、ご家族に看取りの段階である
ことをお伝えする趣旨で開かれました。
でも、そんな大事な機会であるにもかかわらず、
来られた家族は、お嫁さんとお孫さん。
お嫁さんの夫であり、患者さんの息子である
ご長男は欠席でした。
「今日は、長男さんは?」と訊ねるドクターに、
「忙しくて来れないみたいで」とお嫁さん。
話は長男さん抜きで進められましたが、
その間、ずっと長男さんのことが気になって
しまいました。
もしかしたら、本当に忙しかったのかも
しれないけれど、なんとなく。
入院当初の病状説明のとき。
食事を食べる量が明らかに減ってきて、
精密検査をするかどうか、という判断。
その後、2回目の説明のとき。
改善が見込めないから、自宅で看取ることも
選択できるよ、というときの判断。
どちらの説明のときも決められない
感じでした。
そして言われるままに現在に至り。
もしかしたら、長男さんは
患者さん(=お母さん)の置かれている立場を
受け止められていないのかもしれません。
自分の母親を亡くす経験は、ほとんどの人が
1回のみ、と決まっています。
そういうときにどうするか?なんて、
ふだんから想定していないと、そして
よっぽど覚悟を持っていないと、
できるもんじゃありません。
そしてとうとう、長男さんは
そんな空気に堪えかねて、病状説明の
場に来られなかった…。
というのは深読みでしょうか。
私の父親はガンで亡くなっているんですが、
医師から幾度となく「終末期」であることを
告げられていたんですが、そのことを実感したのは
亡くなったあと。
「告げられていた」ことを理解したのも
亡くなってからだいぶ経ってからのことでした。
(あの時の、あの言葉は…)みたいな。
息さえしていれば、なんとなく安心して、
下手すると(もしかしたら、良くなるんじゃないか)
とさえ、思っていました。
そう思っていても、「そうではない」と言われることで
現実に引き戻されてしまい、辛くなります。
そんなことを長男さんは思ってはいないだろうか。
やっぱり深読みかも。