昨日のボランティアの話の
続きなんですが、
何かしらの特長・特技を持っている、
一芸がある人ってのは、
なにごとにも重宝して
輝くことができるという
話をしました。
「人の役に立つ」っていうのは
そういうことなんだろうな、
と思った話でした。
じゃあ、なんの取り柄もない、
特技も得意分野も一芸もない、
そんな人はボランティアできないのか、
ということになりますよね。
今日は、「そんなこともないよね^^」
という話をしたいと思います。
ボランティアの多くは、「何かの・
誰かの役に立ちたい」という気持ちから
始まっていると思うのですが、
それを受けた人は必然的に「お世話になった」
という気持ちになります。
ただ、「お世話になった」ばかりが
積み重なると、人間って辛くなるよなあ、
って思います。
「持ちつ持たれつ」ではありませんが、
ときには反対に「人の役に立った」という
体験を持ちたいものです。
まさにボランティアする人は、そういう達成感
みたいなものがモチベーションになりますからね。
とくに介護が必要なお年寄りたちは
「お世話になる」経験が山のように
なっている状態だと思うので、
(自分には一芸もない)というボランティアは
「お年寄りが(見てられない)と思わせる」
どんくさいボランティアをすればいいんです^^
しばしば、わりと元気なお年寄りが
自分より介護が必要なお年寄りを
世話してあげている姿、なんかがそうです。
「世話を受けているお年寄り」が
「世話をしているお年寄り」の
「達成感を満たしてあげる」という
役目を果たしているわけですね。
洗濯したタオルを干すのが下手くそ。
お茶を配ろうとしてこぼす。
お年寄りの名前を間違える。
何をしていいのか、オロオロする。
車イスの操作が分からない…。
まあ、事故を起こしたり、足手まといに
ならない程度にしないと、面倒がられると
思うんですが…(苦笑)
保育園児などの幼い子供たちとの交流は
自然とそういう関係ができるから
いいんでしょうね。
折り紙の折り方を教えてあげる、とかね。
そんな、お年寄りが「役立ち感」を
感じられるようなボランティアができれば、
一芸がなくってもありかな、って思います。
ただ、こっちのほうが、すごく高度な
能力だと思うんですけどね^^