先日の事例検討会で、末期ガン患者のターミナルケアに

たずさわったケアマネさんが発表されました。


その方、大腸ガンで幾場所かに転移し、

最後は家族に看取られて亡くなりました。


ケアマネさんは、

「本人の望みどおり、自宅で亡くなった。

家族とも満足いくお別れができた」と

自負された感じがありました。


発表のあと、グループでの話し合いがあったのですが、

発表を聞くかぎり、あきらかに痛みで苦しんでいる

ご本人の様子しか思い浮かびません。


話し合いの輪の中に発表者がいて、

質問を投げかけてみたのですが、

どうもピンときてないみたいでした。


その後、グループで出た意見を発表するのですが、

私が思っていた疑問をお医者さんが言われました。


(だよな~)とうなずきながら聞いていると、

お医者さんは「医療系のケアマネに任せるべきだ」

とも言われました。


私はギクッとしながらも、(これだったら仕方ないか)

と思いました。




いろいろな問題を抱えていると思いました。


ひとつは訪問診療と訪問看護が役に立っていないこと。

ここでは、痛みを取り除くことが第一に挙げられるのに

それができていないこと。


使用している麻薬が効いていないことを

訪問する医師は知っていたのか、知っていても

対処しなかったのか。


訪問看護師もそのことを知っていたのか、

医師に報告をあげなかったのか。




でも、少なくともケアマネは知っています。

知っていて対応しなかったのは、

それで良し、と思っていたのか、ただの怠慢か。


ただの怠慢だったらダメですが、

それで良し、と思っているとしたら

それは大きな問題だと思いました。




直接提供するサービスの質が悪ければ、

どんなケアマネがやったって同じこと。

(そのサービスを選んだケアマネの責任は

あると思いますが)


怠慢であれば、それは福祉系でも医療系でも

起こりうること。


問題は、

命を落とすほどの痛みがピンときていない、

つまり、痛みを訴えている利用者を目の前にして、

その痛みが何を示すものなのか、そのことに

まったく思いが至らない、というところなのです。




ただ、末期ガンはどんな痛みなのか、

本当に知っているのは、当事者のみ、

ということも言えます。


となれば、そこには医師も看護師も

介護士も事務員も関係ないわけです。




ただ、医師や看護師はガン患者さんを前にして、

体の中にどんなことが起こっているのか、

これからどうなることが予測されるのか、

どんな対処方法が考えられるのか。

といったことが分かるのだろうと思います。


ここに、福祉系ケアマネが関われるところが

あるとすれば、医療系の持っている知識を

自分もできるかぎり知っておくこと。それが

不十分であれば、適切な対応をしてくれる

医療系にきちんとつながることができること。


つながること自体に医療系、福祉系という区別は

あまり関係ありませんし、痛みを訴える利用者を

前にして(どうにかしなければいけない)という気持ちが

働けば、あとは行動するだけ、です。


それができない限りは、お医者さんが言うように

「医療系ケアマネに任せるべきだ」という言葉を

消極的にでも肯定するしかありません。




自分が抱えたばかりに利用者さんの人生の

最期を安らかなものにできなかった…。


この事実を前に、「家族で最期を自宅で看取った」

という美談は、美談でも何でもないということに

気づかなければいけないんだと思いました。





すみません、ちょっと力が入ってしまったかも(・・。)ゞ

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