消し飛んでしまった私のステキな思い出。
その思い出はちょうど10年目の、
今頃の出来事でした。
私は、施設長をしていた下川さん(仮名)の
奥さんの下で、主任という肩書きをいただいて、
仕事をしていました。
その施設は「知的障害者通所授産施設」。
知的障害のある人たちに、仕事を通して
自立を支援していく仕事でした。
当時、その地域には障害のある人たちが通う
施設がまったくなく、したがって、学校を
卒業したあと、就職先が見つからなければ、
自宅で過ごすか、遠くの施設へ入所するか、
という選択肢しかありませんでした。
障害を持つ親たちが下川さんたちの法人に
熱心に働きかけて誘致した、待望の施設でした。
新しくできたその施設に、奥さん、長綱氏は
法人からの異動、私は下川さんから誘われて、
その施設に勤めることになりました。
さて、その法人の理念は決まっていました。
その理念にしたがって仕事をすればよい、
ということです。その理念とは、
「障害のある人たちの自立を支援すること」。
その具体的な柱は2本ありました。
「親元を離れて生活をする」ことと、
「仕事を持つこと」です。
若くして障害を持った人たちは、親元を
離れる、つまり自立した生活を送ることが
難しい事例がたくさんあります。
ひとつには一般就労して、経済的に
安定することが難しい。
(そのために障害年金があったりします)
また、経済力のある親が「自分の目の黒い
うちは、できるだけのことをしてやりたい」
と言って、自分の元から離れさせないこと。
特に、知的障害がある人たちは、いわば
「子供あつかい」されて、かえって自立を
妨げてしまうことがよくあります。
親の立場を知った今では、そういう気持ちに
なってしまうことも十分理解できるのですが。
ただ、それができるのは「親の目の黒いうち」
であって、やはりその後のことを考えると
障害を持った人たちが不利益をこうむることを
みすみす見逃すことができないわけです。
さて、話は元に戻りますが、
「自立支援の2本柱」を実現するために
施設の方針をこう定めました。
「親元を離れて生活する」ために、
グループホーム制度を活用すること。
障害者のグループホームは、
認知症グループホームとは少し違い、
4人程度で共同生活を送るものです。
ひとつのグループホームには
世話人さんがいます。
困ったことがあれば、一緒に住む仲間同士、
または世話人さんに相談したり、支援して
もらったりしています。
今まで親に手取り足取りしてもらっていたことを
できるだけ自分たちでやっていこう、という
スタイルです。
長くなったので、今日はこのへんで。
(つづく。)
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