アンチ・エイジングと
ウィズ・エイジングを考える
3回目です。
今日を入れて残り2回となりました。
ところで昨日、職場の健康診断がありました。
受付の職員さんに
「田中さん、43歳なんですね。
30代後半に見えますね」と言われ、
思わず「嬉しいこと、言ってくれるねえ」
と、口走ってしまいました(笑)
でも、まあ、私は無理に若作りを
しているわけではないので、
これはこれでいいのです(笑)
さて、今日のテーマは、
「若さと老いを比較する愚かさ」
とでも申しましょうか。
例によって、鳥羽研二先生の
著書から引用します。
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老人は若者のように速くは走れない。老人は若者のように重いものを持ち上げることはできない。たしかに老人は若者より“劣っている”ように見える。
しかし、この比較は間違っている。なぜなら、かつて老人は、若者と同じように速く走れたし、重いものを持つことができたのだ。
逆の比較をしてみよう。これまでの人生で歩いた歩数は何歩か、老人と若者を比較してみればいい。圧倒的に老人の方が多いはずだ。では若者は劣っているか?もちろん劣っていない。老人は単に長生きしているから、歩数も多いだけだ。若者も老人の年齢になれば、同じくらい歩いているに違いない。
現在という時点で、若者と老人、若さと老いを比較するのは間違っている。比較するのなら、一生というスパンで比較しなければ正しい答えは出ない。
ところが、アンチ・エイジングは現在の時点で若さと老いを比較し、若い方が速く走るから、力があるから、瑞々しいから、などの理由で、一生懸命若くなろうとする。
アンチ・エイジングの信奉者は、恐らく、比較の間違いや商業主義に乗せられていることにぼんやりとは気づいている。ただ、同世代との競争に負けたくないだけなのだろう。
私が「時間軸への畏敬」を強調したいのは、比較しようもないことを比較し、瞬間を刹那的に謳歌するアンチ・エイジングの愚かしさを指摘するためばかりではない。老人は劣っている、老化は悪だ、という考え方が、老人に対する尊敬の念を失わせていることに気づいてほしいからだ。「畏敬」という言葉には、そういう思いが込められている。
(『ウィズ・エイジング』鳥羽研二 グリーン・プレス)
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改めて解説することもありません。
「若さには若さの良さ」が
「老いには老いの良さ」が
それぞれあるのですが、
「若さの良さ」だけを良いものとし、
その基準から外れるもの、劣っているものを
悪いことである、としているのが
アンチ・エイジングなのでしょう。
そう見えてしまうのは、昨日の記事のとおり
その「瞬間の謳歌」にだけ目を向けているからであり、
「時間への畏敬」がないからです。
そんな見方を私は”深みがない”と批判したいのですが、
みなさんはどう思いますか?
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