「いつまでも若々しくいたい」。
この気持ちは、ほぼすべての人たちの願い
だろうと思います。
その願いを叶える方法、考え方の一つが
「アンチ・エイジング」です。
しかし、このアンチ・エイジングという考え。
どうも私には昔から違和感があって
ブログにも何度か書いたことがあるのですが、
(どうもうまく書けないなあ)と思っていたところです。
ところで、先日、参加させていただいた
その講演でいらっしゃった鳥羽研二先生
(国立長寿医療研究センター)が
このアンチ・エイジングについて
とても興味深いお話をしてくださいました。
鳥羽先生の本も買ってサインもしてもらいました^^
ひとつひとつが共感することばかりなので、
以下、引用して紹介したいと思います。
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アメリカで生まれた「アンチ・エイジング」という考え方は、サプリメント業界、美容業界、食品業界などの産業と結びつき、また、医療費削減という政治的な思惑と合致し、爆発的に普及した。
その爆風は日本にも押し寄せ、規制する法律がないのをいいことに、10年ほど前から、やりたい放題の状況を呈している。
私は居ても立ってもいられず、個々のアンチ・エイジング商品の効果を科学的な立場から批判しているが、個別撃破では到底追いつかない現状だ。
そこで、アンチ・エイジングという「老化に抵抗する」考え方そのものを批判すべく、それと対抗するウィズ・エイジング、すなわち「老化に寄り添う」という考え方を、機会あるごとに提唱している。
(中略)ウィズ・エイジングは、単なるアンチ「アンチ・エイジング」ではない。日本の歴史、文化を背景にした一つの死生観だと思っている。
(中略)アンチ・エイジング以前にも、いくつもの×××エイジングという言葉、考え方が主にアメリカで提唱された。代表的なものを挙げるとプロダクティブ・エイジング、アクティブ・エイジング、サクセスフル・エイジング、ポジティブ・エイジング、ロバスト・エイジング、エイジング・ウェルなどである。
これらの考え方に共通しているのは、歳をとっても何らかの仕事を持ち、活動的であることをよい老年としていることだ。では、活動的であることができない、病気や障害を持つ弱者にとって、よい老年とは何か。その視点が、これらの考え方からは完全に抜け落ちている。
(中略)年をとれば、体が弱くなり、介護が必要になる場合もあるだろう。しかし、それは断じて敗北ではない。支えてくれる家族、あるいは介護者がいれば、残された自分の機能を最大限に発揮し、楽しく生活することは可能だ。そういうウィズ・エイジング的な生き方を、私は日本に定着させたいと考えている。
死は、だれにも必ずやってくる。死にいたるまでをいかに満足できる時間にするか、そこにこそ注目していく時代がきている。
(『ウィズ・エイジング』鳥羽研二 グリーン・プレス)
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長く引用してしまいましたが、鳥羽先生は
アンチ・エイジングという考え方は、老いへの
敬意がない考えであり、それが日本の文化に
合わないものである、といっています。それが
お年寄りを大切にしない今の風潮となっている
のではないか、とおっしゃっています。
やっかいなのは、アンチ・エイジングの方向性が
増大していく高齢者医療の削減に合致していると
思われていることや、美容、食品、サプリメントなどが
巨大なマーケットとなっており、
「いつまでも若々しくいたい」という消費者ニーズが
あるために、この風潮をくつがえすことが
なかなか難しい様相となっていると
おっしゃっています。
たった今、思い出しましたが、昔は
年齢の割に若く見せようとする姿を見て
「若作りしてぇ。」などと、
冷やかす言葉もありましたが、
今はあまり言いませんね。
この言葉の裏には
”年齢に相応の姿をすることが
ふさわしい”という意味が
含まれていると思うんですよね。
年齢に抗って若くいることは
恥ずかしい、というほどの感覚だった
のかもしれません。
「若くいることは良いことだ」。
確かに良いことなんですが、
それが絶対的な価値観となってくると、
そうできない人たちはどうなるんだ?
という問題提起を鳥羽先生は
されているんだと思います。
その主張に私も同感します。
次回、もう少し深めてみます^^
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