成年後見制度。
果たして、この制度の目的を
いったいどれだけの人々が
理解しているのか?
はたまた、理解していないのか?
昨日の事例検討会 で出た
成年後見人の話。
報酬額を把握していないケアマネジャー。
「後見人はボランティア的にやっておられて
報酬も高額ではないと思う。」と発言した
地域包括支援センター。
その発言に何も疑問を持たない
その他の参加者。
疑問を持ったが、発言しなかった私。
どれも残念な方ばかりです(苦笑)
今回は特に地域包括支援センターの
発言から、私の考えたことを書こうと
思います。
”後見人はボランティア的”
”後見人は見返りを求めていない”
こういった趣旨の発言に対して、
(それで後見人が務まるのかな?)
と思ったんですね。
成年後見人の務めを分かりやすく言うと、
「(判断能力がない)とされた人のことを、
その人に代わって決めること」です。
日本では、自分のことを自分で決める自由が
認められています。
そういう権利を一人一人が持っています。
しかし、何らかの理由で、その力を上手に発揮できず、
生きていくうえで不利益を被(こうむ)ることがあります。
間違ったり、騙されたりして、そのおかげで
生きにくくなる場合があります。
誰もが当たり前のように持っている、
「自分のことを自分で決める権利」を、
その人に代わって、後見人は行うのです。
こんなに責任の重いこと、ってないですよね?
とある都内のある区では、市民後見人を育成するために、
1年間の育成プログラムを組んでいるそうです。
そのプログラムの内容までは把握していませんが、
他人様の決める権利を後見人が担おうと思えば、
これぐらいのプログラムはクリアしてくださいよ、
という姿勢で取り組んでいるわけです。
区民の自己決定の権利を可能な限り守っていこう
と、考えるこの区のことを”すごいなあ”と思いました。
だから、事例検討会のときに発言した、
地域包括支援センターさんの、あの言葉に対して
「あまりにも軽すぎるぅ~」と思ったわけです。
逆に言えば、後見人としての仕事をきちんとすれば、
それなりの報酬はもらうべきだと思います。
あまり伝わっていませんか?(苦笑)
それも致し方のないことかもしれません。
包括支援センターの職員さんにも
残念だとは思いますが、怒るほどでもありません。
だって、この世の中、自分のことを判断できない人が
そのままになっていることがあまりにも多すぎますもん…orz
緩いのは田舎だからかなあ…。
問題のレポート、
『誰も語らなかったケアマネジメントの”根っこ”補強版』