それた記事 になってしまいましたが、
今日は、もう少し続けてみます。
昨日の記事 にいただいたコメントを読んで、
いろいろと、思うところありました。
私自身もあの記事を書いて、
迷うところがありました。
何に迷っていたかというと、
最後の締めです。
しっくり締められていない、
という気持ちが残っていました。
なぜ、そんな気持ちになったのか、
それがみなさんのコメントで
分かったような気がします。
それはおそらく、
”希望がないから”ではないかと
思ったのです。
どういうことかというと、
あの記事をよく読むと、
「どんなに質を上げようと努力しても
ダメだよ。家族が希望しないものは。」
というふうに読み取れます。
介護サービスの質を
問わないことがある、となれば、
「質なんてどうでもいいじゃない」
ということになります。
(頑張っても頑張らなくても一緒)
というのは、つまり、そこには
”希望がない”ということなのです。
ということで、こんなことを思いましたので、
書き留めたいと思います。
私たちが行動を起こす大きな
モチベーションになるもののひとつに
「大義(たいぎ)」というものがあります。
分かりやすく言うと、「正義」です。
「自分に”大義”がある」と思うことで、
その行動は広く、大きく、強く
行うことができます。
例えば、昭和10年代の日本は、欧米に
植民地化されていたアジアを開放する、
という”大義”を掲げていました。
アメリカはイラクに対して戦争を仕掛けたのは、
世界に核を拡げて混乱させない、という
”大義”があったからです。
身近なところでは、管直人首相は
きっと「自分が首相でいないと
復興が進まない」という”大義”を
持っているから首相を辞めないのです。
でなければ、あんな心が折れるほど攻撃されて、
平気でいられるはずがありません(苦笑)
つまり、「自分に正義がある」と思うことは、
自分の起こす行動に自信を植え付け、
大きな力になるのです。
介護にも”大義”がなければいけません。
「質が良かろうと悪かろうと一緒だよ」では、
頑張るモチベーションは上がりません。
質の高いサービスを行うことの”大義”を
掲げる必要があります。
「なぜ、私たちは質の高いサービスを提供しようとするのか」。
それは、おそらく「個人の尊厳を守るため」
というところに行き着くことになろうか、と思います。
私はやっぱり「顧客は家族」であると思っています。
だから、家族の思いや希望がサービスを左右するわけです。
でも、サービスを受ける利用者が不利益なことになるのは、
モラル(倫理観)が許しません。
どんどん悪い状態になっていく利用者を
見過ごすことの恐ろしさ、といいましょうか。
心ある人たちは、そういう状況を
見て見ぬ振りなどできませんよね。
質の高い介護サービスを提供する”大義”は
「個人の尊厳を守るため」というところに収まるのでしょう。
やはり、そこを信じていくべきです。
さて、結局そういう根本的なところに戻ってしまいました。
でも、単に「個人の尊厳を守ろう」と標語のように
聞かされていた時とは違う気持ちを感じていただけたら
幸いです。
次回は、元に戻って家族のことを書きます。
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『誰も語らなかったケアマネジメントの”根っこ”補強版』