昨日の続きです。
高齢者の「自立支援」とか「生活の質の向上」とか、
介護保険の理念では、介護サービスを直接受ける
高齢者のためにサービスがある、
というように書かれています。
しかし、私は今回のことで
「介護保険の顧客は7~8割がた、家族」
と思いました。
今日はそう思った理由を書きます。
介護保険は家族では担えなくなってきた
介護の手間を社会で支える仕組みです。
「介護」の問題と同じようなものに
幼児の「保育」の問題があります。
私は、介護も保育も同じしくみだと
理解しています。
その昔、家庭の中で完結していた
介護とか保育という、身内をお世話する機能が
家庭の中だけでは担えなくなってきたために、
外部にしくみを作って、その役目を果たす、
ということになっています。
保育で言えば、昔は両親や祖父母、
要するに家族が自分たちでしていたことを
それができないために保育園に預ける、
ということになっています。
保育園に申し込もうとすると「保育に欠ける理由」
というものを書かなければいけません。
つまり「保育」には、「家族で保育が行えない事情」
というものがあって、初めて保育園に
預けることができるのです。
つまり、「世話をする側の事情」です。
そのような手続きを踏んで、保育園が乳幼児を預かると
保育士は家族に代わって、乳幼児の保育を行うわけです。
要するに保育士は家族の代わりです。
ここまで書けば、私が思ったことがどういうことなのか、
分かった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
実は、介護も「介護できない事情がある家族に
代わって介護を行う」ということです。
つまり、介護も家族の代わりなんです。
ですから、家族の意向に沿わないケアマネジメントは
“失格”とみなされる、ということではないでしょうか。
ただし、「介護」と「保育」では「対象者の判断能力」が
「介護」の場合は、自分自身で判断できる人がおり、
「保育」の場合は、自分自身で判断できる人がいない、
という違いがあります。
「7~8割がた、家族」と書いたのは、
自分で判断している方が2~3割いらっしゃる、
ということです。
ちなみに数字はあいまいです(苦笑)
もっと少ないかもしれません。
自分で判断されない方の場合は、多くは家族が判断を
求められ、家族自身にも利害関係が降りかかるので、
すべての人が客観的に利用者本人の利益になる
判断は行えない状態になっていると思います。
(だから、法定後見人を、という話になります。)
やはり多くの利用者の生活は家族の事情に
左右されているのが実態であり、そのために
家族の意向が(私が今まで思っていたよりも)大きく
作用するのだ、と思いました。
なんで、こんなことが考えられなかったんだろう…。
「利用者よりも家族」という、この考えに
同意できない人も多いのではないか、と思います。
「利用者の尊厳はどうなるのだ」的な
言葉も聞こえてきそうです。
私も同意して欲しいとは、まったく思っていません。
これは私がいくつかの出来事を通して感じたことを
ただ述べているだけですから。
「ふ~ん」という感じで読んでいただけたら
幸いです。
(もう少し続く。)
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問題のレポート、
『誰も語らなかったケアマネジメントの”根っこ”補強版』