(前回は>>>こちら。)



人はわからないものを不安に思ったり、知りたいという好奇心を持ちます。そしてわかると満足します。


では、わかるためにはどうするでしょう。その方法は「わからないものを分けることによって知る」ということが多いです。

医学の進歩は、医学を内科、外科に分け、さらにそれぞれの専門科を作り、発展していきました。 

ヒトの体をDNAにまで分けて、その成り立ちをわかろうとしました。


科学の進歩の多くは、「わからないものをわかるために、分けて考える」という流れがあります。


しかし、それにも限界があると言われています。
例えば人間の心はどこにあるのか。
私の記憶によれば、脳をいくら分けてもわからないだろう、とのことです。



認知症も、そんな「ミクロを調べてもわからない」もののひとつではないか、と私は思っています。



脳科学の研究ってどこまで行っているのか知らないですけど、「脳は分けてもわからない」ものの代表、みたいなところがあります。




しかし、これから研究が進めば、もしかしたら分かるかもしれませんがね。

科学の進歩って、とても想像できない世界ですから。

でもねえ…^^



では、ミクロで分からないことを今度どうするかというと、ミクロ同士の互いの働きを見る、ということです。いや、ミクロ同士のはたらきを見るのは、やはりミクロを見るということなので、トータルでものを見る、ということですね。


「分けてもわからないから、トータルで見ていこう」というのは、心理学者の河合隼雄先生や生物学者の福岡伸一先生も書いておられることです。



世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。

(『世界は分けても分からない』福岡伸一著 講談社新書)



まとめますと、認知症の疾病を考えるにあたっては、その疾病の種類によってその人の行動を理解する、という意味においては有用だと思います。そうすると、相手の気持ちにより添いやすくなるだろう、ということで。共感しやすくなると思いますね。



ただ、当てはまらない症状には、たちまちお手上げになってしまう。そんな例は山ほどあります。アリセプトも効果があるのは5割満たないんじゃないかって、この医師はおっしゃっています。

そんな不確定な要素がまだまだたくさんあるのが、今の認知症の現状だと思うのです。

したがって、私の認知症のことは「わからない」という立場なのです。



でも、「わからない」では終わらない。「わかりたい」と考える。「わかるため」にはミクロで考えることも必要だけど、トータルで考えてみることも必要。



でも、私は、まずは苦手な疾病について、勉強していかなければなりませんねv(^-^)v


(終わり)


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