この間、町内の事例検討会がありました。
事例検討会というのは、ケアマネが担当している利用者さんのケアマネジメントの内容をまとめて、「こんなケアマネジメントをしているんですけど、どうでしょうか?」と問います。
それに対して、参加者はグループで話し合って、「ここのところ、もっとこんなところをアセスメントしないとね。」とか、いろんな助言をしていきます。
自分の仕事ぶりを見せるわけですから、事例提供する人はちょっとドキドキしますね。
今回、検討した事例は2つ。
いずれも認知症の方の事例でした。
お一人目は、娘夫婦と一緒に暮らしている方。
もうお一人は、1人暮らしですが、近所に息子夫婦がいる方。
一方は穏やかに暮らしておられて、もう一方は認知症の症状に振り回されていました。
認知症の進行がどうのこうの、というのはまったく無視しますが、なぜこうも違うんだろう、と思いました。
皆さんの知っている認知症のある方で、ただ物忘れがある人と、すごく認知症症状が現れている人って、違いがあると思いませんか?
なぜこうも違うんでしょう。
推測にすぎませんが、ご本人の性格を考えると思い当たる節があります。
お一人は、民生委員などをされていて、昔から地域とつながりがあり、ご家族も協力的。お嫁さんは「お義母さんのためなら介護も厭わない」と言うそうです。ずいぶん人格者だったようです。認知症はありますが、もちろん今も穏やかに暮らしておられます。
いっぽう、認知症の症状がひどい人は、農業を一生懸命やってきて、本当に働き者だったけど、あまりご近所づきあいが無かったそうです。子供夫婦との関係も希薄でした。
働き者だったその人は、衰えていく自分の体や心に対する不安が強かったのだろうか、と思いました。
何でも一人でやってきたその人は、できなくなったことを誰にも相談できず、どうしていいか分からず、ますます衰えていく自分を許せなかった、とか。不安の渦に巻き込まれていった、とか。
つまり、誰にも自分が弱っていく様子をさらけだせなかった、ということでしょうか。言い換えれば“プライド”かもしれません。
三好春樹先生のある本の中で「認知症の人でハゲはいない」と、面白い仮説を立てられていました。その根拠は、「ハゲている人は、若い頃から少しずつ衰えを自覚しているから」ということだそうです。
認知症は心身の衰えに対する不安、将来に対する不安によるものである、とすれば、三好先生の仮説はかなりいい線を行くんじゃないかと思います。
もしそうであれば、その不安を誰かに相談できたり、助けてもらうことができれば、認知症の混乱状態は回避できるのではないか、と思います。
「私は誰になっていくの?」の著者、クリスティン・ボーデンさんも、あの著書を出版されてからもう10年近く経つのではないでしょうか。
どこかで最近のボーデンさんの映像を見ましたが、以前のようにご主人の隣でしっかりとした表情をしておられましたね。
あの人はご主人の存在がとても大きいと思うんです。
「認知症の症状は、個人差があるだけのことだよ」!?
もちろんそうかも知れませんが、それを言っちゃあ、この記事、ボツだ(笑)
推測ですよ、推測。