デイサービスから電話があり、着いたときにはもう息をしていませんでした。
90歳になる小柄な安井さん(仮名)。ベッドに横たわり、顔は天井を向いています。口は開いて。
何も知らなければ、ぐっすり熟睡しているかのような…。
今年の夏から担当になりました。転倒して骨折。退院を機に担当になりました。
「すまんなあ。こんな身体になってしまって。もう私は死にたい。生きたくない…。」というのが口ぐせでした。
それはもう、話しかけるたびに、“死にたい、死にたい”を聞かされました。
“死にたい”という言葉をくり返し聞かされるのは介護者にとってみれば嫌がられることが多いように思います。
「もう、一生懸命介護してやっとるのに、そればかり言って」と、“弟の”お嫁さんは言いました。
“弟の”お嫁さん。そうです、安井さんは弟の家族と暮らしていました。
結婚したことはあるものの、しばらくして戻って来られた過去があります。子供もいません。それからは実家で農業を手伝っていました。
一生懸命に仕事をされたのでしょう。この骨折で入院するまで、実に89歳のときまで畑へ出ておられました。
「弟たちに迷惑をかけられん。足手まといになったらいけん」。戻ってきてから、ずっとそんなことを考えておられたのかもしれません。「戻って来て住まわせてもらっている分、迷惑をかけたらいけん」と。
しかし、骨折、入院という出来事は安井さんの心を傷つけました。入院を機に、少しずつ認知症が出始めました。
例えば排便の失敗。朝、部屋に行くと床や壁や布団に便がついています。お嫁さんは(はあ~~)とため息をつく日が続きました。
安井さんは、“自分で後始末しなければ”と思っているのです。でも、うまくできない。
「できなかったら、しなければいいのに」。そうです、あちこち汚したら、よけい後始末に手間がかかってしまいます。
そのことで怒られて、ご飯を食べないこともありました。そんな時には、必ず「もう死んでもええ。かまってくれるな」と言うのです。
「“かまうな”って言ったってな、ほっとくわけにもいかんが」とお嫁さんは言いました。
亡くなる2時間ぐらい前だったでしょうか。デイサービスに行って、安井さんの顔を見たので声をかけました。家で朝ご飯を食べなかったときは必ず持ってくるおにぎりを目の前に、安井さんは無言でした。
(今日は「死にたい」も言わないなあ)と黙って見ていたら、安井さんは目の前にあるおにぎりの皿を手で払って、そこに顔を伏せました。
(しんどいのかな)と思い、そのままデイサービスをあとにしたのが、安井さんに会った最後でした。
熟睡しているかのような、安らかな顔を目の前にして、「やっと死ねたね。ゆっくり休んでよ」と手を合わせました。
それから1時間ぐらい経ったでしょうか。迎えに来られた家族の車に乗った安井さん。
顔を見るたびに“死にたい、生きたくない”と言っていた安井さんが、たま~に見せた笑い顔。その顔を思い出しながら(あの世では笑顔で暮らしてくださいね)と見送りました。