妻は、自分の夫である福田吾朗さん(仮名)の顔をじっと見つめていた。
じっと見つめて、どんな言葉をかけようか、考えていた。
1日も早く退院して、家に帰りたい吾朗さんに、どんな言葉で引導を渡すか。
言うほうも言われるほうも、辛いのだ。
そして、在宅生活を諦めさせてしまった、という事実は、私の責任でもある。
「あなたはケアマネの仕事をしなかった」と、言われているようなものだ。
私も引導を受ける1人なのである。
妻は吾朗さんの耳もとへ行き、「おじいさん、おじいさん」と声をかけた。
その言葉を遮るように、「早く帰らせてくれえ。」とおじいさんは言った。
「よう、来てくれた。もうワシは帰ろうと思うとる。」と、妻の言葉を聞かず、自分の思いばかりを話し続けた。
「耳が遠いもんだけ、いつもこれですわ。」妻は苦笑いした。
ひとしきり話すと、吾朗さんは口をつぐんで、うなだれるように下を向いた。
次男は自分の母親の肩をぽんと叩いた。
(言うなら、今だぞ)という合図だった。
肩を叩かれた母親は「おまえが言ってや」と言った。
「私が言っても、声が小さいけ、聞こえん。」
「俺に言われたら、またシュンとして、話が続かんけ、おばあさんが言わんと。」
こうなったら、どっちが吾朗さんに引導を渡すか、なすりつけあいである。
妻は意を決して話しかけた。
「おじいさん、私も腰が痛あて、おじいさんの面倒をよう見んけ。近くに泊まれるところが出来たけ、そこに入ろうで。」
吾朗さんはきょとんとしていた。
聞こえなかったのか、話が分からないのか。それともショックを受けているのか。
それから妻はゆっくりと、しかし、畳みかけるように吾朗さんに言って聞かせた。
おじいさんは妻の話が分かったか、分からないまま、再び自分の腰が痛いこと、病院の看護師さんが良くしてくれないこと、家に帰りたいことなどを話し始めた。
その話にうなずく妻。
耳が遠いためなのか、話は分かっても受け止めたくないのか、話は平行線。
そばで話を聞きながら、私は次男さんに話しかけた。