私の母親は70数歳。後期高齢者にあと一歩(!?)というところです。
それはそれは、昔とは違う様子になってきましたね。
別に、“何かに世話が必要になってきた”ということではないんですけど。
やっぱり“衰えたなあ”と思うところもあるのです。
例えば、冗談を言っても、理解できるまで少し時間がかかる、とか。
といっても、ビミョ~なタイムラグなんですが。
調理するときに、野菜の切り方がちょっと雑(大きい)だったりとか。
その程度のことなんですけどね。
そういえば、亡くなった父親のときも、耳が遠くなったのを実感したときは、同じようなことを思いました。
こんなことを思い出しました。
7~8年前のことでしょうか。
とあることで、母親とケンカになりまして、その時に母親は「もうご飯も何も別々でしたほうがええが。そのほうが気を使わんですむし。」と言いました。
もし、そのときに母親の言うとおりにしていたら、母親は寂しい毎日を送ることになったと思います。
その時は何とか矛を収めて、元通りに戻ったんですが。
私たち家族は2階で寝起きしていて、母親はその後1階に残って、夜を過ごします。
お茶が飲みたくなって1階に降りると、居間で横になってTVを見ている母親の姿を見ました。
ポツンと一人でいる母親の後ろ姿を見て、“もし、「私たち家族は家を出る」なんてことを言ったら、母親はたちまち呆けてしまうだろうな”と、ふと、そんなことを思ってしまいました。
そう考えると、私は母親の人生を大きく左右させることができるんだ、と、ちょっと恐くなりましたね。
そして、そんな母親が少し哀れに思いました。
“私も歳を取ったら子供に気を使わないといけなくなるかもな…“
親はいつまでも親だけど、私が子供の頃の親とは違うのです。
やっぱり衰えて、他の誰かの助けを借りなくては生きられなくなるんです。
…そう思っていないと、世話がかかるようになっていく親を疎ましくなるのですよ、きっと。
衰えていく親は、それを認めてやらないと、親も生きづらいし、私たちも辛くなる。
「アンチエイジングとか、若返りとか、衰えることを暗に否定することが多い世の中だけど、そんなことがもてはやされている間は、年寄りが幸せな世の中って、きっとやって来ないんだよね」と、直感的に思った私なのでした。