「今日から、おらが村は便利な文明に頼らない生活をする」。
そう宣言した村長は、村民の支持率90パーセントを超える偉大な村長でした。
村で生まれた若者たちは、学校を卒業すると、例外なく都会へ行ってしまいます。都会の生活に憧れを持っているからです。
村長は鎖国ならぬ、鎖村を始めたのでした。
村長は電気や水道を止めて、自給自足の生活を始めます。パソコンやケータイはもちろん、「TVもねえ!ラジオもねえ!」の村にしてしまいました。
主な産業は農業。それも、誰かに売って商売するほどの収穫もありませんから、多くの家が税金も払えなくなりました。
太陽が昇ると同時に働き始め、太陽が暮れると寝る生活でした。
でも、貧しくはありませんでした。
子供達は学校には行きませんでしたが、1日中遊んでいたわけでもなく、農業の手伝いや家事をしたり、弟、妹の面倒をみたりしていました。
夜も長いので、その日にあったことを家じゅうで話し、楽しかったことは皆で笑い、悲しかったことは皆で泣いたり慰めたりしていました。
もちろん、家族は3~4世代が当たり前でした。みんなで肩を寄せ合って生活していかなければ、生きていくことはできませんから。
家の中での助け合いはもちろん、向こう三軒両隣で、果ては村が一体となって暮らしていました。
お互い助けあいの生活でしたから、いがみあいやケンカも少なかったようです。
そんなゆったりとした生活に異変が起きたのは、あのことが起こってからでした。
玄さんの庭で井戸を掘っていたときのことです。近所から梅さん、松さん、竹さんに手伝ってもらっていました。
15メートルほど掘ったときだったでしょうか。梅さんが茶色い土が墨汁のような汁で黒く変色しているのを見つけました。今までとは違う異様なニオイも充満してきました。
「ん?これは…。石油だ!!!」
なんと、玄さんの庭から石油が出たのです!
化石資源の少ない日本で、石油が出るのはとても珍しいこと。
石油が見つかったニュースは、たちまち日本中に知られることとなりました。
次の日には、TV局の報道陣がひっきりなしに玄さんのうちを訪れました。
さらには、土地を売って欲しいという企業が“玄さん詣で”にやってきます。
買収金額は、玄さんの孫、いや、ひ孫までも働かなくても食っていけるほどです。
先祖代々の土地を売ることに玄さんは迷いました。
そんなとき、梅さん、松さん、竹さんが玄さんの家へやって来ました。
「俺達も手伝ったんだから、少しは分け前をくれてもいいじゃないかよ。」
「まあ、それもそうだな。生活に困らないくらいに分けてあげよう。」
「それじゃダメだ。もっと儲かるんだろ。」3人は食い下がります。
さらに、ある日、玄さんはTV局の人からこんな話を聞かされました。
「中国が「日本で石油の出た土地は、1万年前に我々の祖先が海を渡って開拓した土地だ。だから中国領土だ」と言い始めていますよ。」
…というところで目が覚めた(笑)
文化の日とは関係がない(笑)