(前回はこちら 。)
さて、そろそろケアマネの仕事を職人の仕事ぶりに落とし込んでみます。
まずは、大工で言うところの「住みやすい家を建てる」、料理人で言うところの「おいしい料理を作る」という「技術」に相当するものは、私は日常生活に関する動作の自立支援だと考えています。
日常生活とは、排泄や歩行などの動作が自立できるようになることです。
職人になるための技術、それに必要なのは知識と経験である、としましたが、自立支援のケア技術って、まだなかなか一般化していないように思うのですが、いかがでしょうか。高齢者のケアは、その経験を積み上げて理論化する(=知識にする)という作業がまだまだ残されているような気がします。
逆に、技術を用いて自立支援をきちんとやっている時点で、かなりいいところまで到達していると思うのです。
日常生活に関する動作の自立を果たせば、以前のような生活を送ることが可能になる人たちも多くいます。そういう人たちは、そこで支援は終了です。
ここまでで「おいしい料理を作る」ことができました、ということです。ここをひとつの到達点として良いんじゃないでしょうか。
そして、「個別性」の問題ですが。
何度も言うように、まずは技術がきちんとできていることが大前提です。その大前提の上での個別性ですね。
私はこんな人に疑問を持つんですよ。
「人は十人十色なんだから、ケアも十通りあるんだ」といっている人です。
10人に全部違うケアをする必要があるということは、ケアには普遍性がない、科学的なものではない、経験の蓄積ができない。よって知識にならないし、技術も高まらない、ということになるのです。
しかし、まんざら間違いでもないんです。ここがややこしいところなんですけどね。
例えば、こういうことだと思うんです。下肢筋力を維持しようと、散歩が好きな人がいれば、散歩が嫌いな人は、グランドゴルフで歩く距離を稼ごうとか。目的は同じでも、方法が違うということが。そういう個別性には賛成です^^
この引き出しの数が職人の個別性(=力)だろうな、と思います。
私が思うのは、
「おいしい料理は作る」ことは、できて当たり前。職人は、限られた食材を上手に使うとか、限られた時間で作るとか、レストランに来た客の風貌を見て味付けをかえるとか(そんなことができるか、分かりませんが^^;)、
そして「住みやすい丈夫な家を建てる」のは当たり前。提示された限られた予算で最大限良い家を作るとか、家族構成はもちろん、家族の趣味や生活の実態を考慮したり、そういうことが職人だと思っています。
さらに、非常に住みにくい家を依頼する家主に「それはこうしたほうが良い」ということも言えないといけませんね。みすみす住みにくい家を建てることは、職人として許さねえ!ということです。
だから知識と経験、技術の確立は大切なんです。
最後につけ加えておきますが、日常生活が自立できない人はどうするか、ということですが、私は「主体性の獲得」だと考えています。この話はまた今度、ということで^^
どのケアマネジャーに頼んでも仕事は一緒。それじゃあ、「選ばれる時代」になったときに生き残れません。だから、「田中大造のケアマネジメント」というものを確立しないといけないんですね。しかし、「田中大造のケアマネジメント」と言ったって、「俺の作るラーメンはこれだ!食えっ!!!」と言って客に押しつける頑固オヤジじゃない職人になりたいですね。
どうでしょう、「ケアマネジャーは職人を目指す」という話。ケアマネジャーに限らず、介護の現場は職人の現場であって欲しいですね。
さて、うだうだと書いてきました「@ケアマネ職人」の話ですが、明日はこんな私の浅はかな考えでは及びもつかない職人のマインドを紹介します。とても大事なマインドだと思います。
(続く。)
明日が最終回です^^