日本ホスピス・在宅ケア研究会
のネタもいよいよ最後のテーマになりました。
シンポジウム「死を包む言葉」から感じたことを書きます。
今週末は、お盆ですしね。
ちょうどお盆に関する話題、になるでしょうか?
ケアマネの仕事をしてから“人間の死”ってものにちょっと関心を持たないといけない、と思った時期がありました。もちろん、今も関心を持っています。
だって、私が関わらせてもらった人たちの多くが、そう遠くない将来、亡くなるからです。
他の仕事だったら、なかなか考えないでしょうね。身内や友人がそうなったとき考えるくらいでしょうか?
さて、“人間の死”を考えるにあたって、何をとっかかりにすればいいかな、と思ったときに「まずは仏教かな?」と思いました。
私の家は曹洞宗なのですが、葬式や法事の時はお坊さんに来てもらってお経を唱えてもらいます。仏教のことを知ると、“人間の死”のことが分かるかもしれない、と思いました。
はてさて、ここからは私の底の浅い知識ですが、日本で仏教が浸透していったのは鎌倉時代だったと思います。あの時代に仏教のいろいろな宗派が出てきて民衆に浸透していきます。
それから江戸時代には「檀家(だんか)制度」が出来て、お寺と民衆の関係を密にしていきます。誰もがどこかのお寺の檀家になることが強制されたと言います。お葬式にお坊さんを呼んだりするのもこの頃からのようです。
さて、仏教がこれだけ浸透する前は神道でした。「神様、仏様…」の神様ですね。うちの家にも神棚があれば仏壇もあります。日本には古くから八百万(やおよろず)の神といって、多くの神様がいたんですね。
キリスト教やイズラム教のような「神様は一人」という感覚ではなかったようです。さらに、そこら辺の巨木や岩に「カミ」が宿ると考えられていたり、台風、雷などの自然現象なども「神の行うこと」という意識がありました。「神風が吹く」と言われたりしますよね。
さて、宗教と死ぬことの関係ですが、私は「自分や身の回りの人たちの助けではどうにもならないことに出会ったとき」、コントロールできない「苦しみ」に対して救いの手を差し延べるのが宗教ではないか、と思っています。
「死ぬこと」は人間の力ではコントロールできない、もう、めちゃくちゃ恐くて平静にしておられない、そんなものだと思います。そのときに辛い感情を和らげてくれるのが宗教だと思います。
もちろん、「死ぬこと」以外にも「苦しみ」はあるわけで、宗教は「生き方」に対しても指南してくれるのがすが。
さて、日本では古来からある神道と中国から渡ってきた仏教とがごちゃ混ぜになっているのですが、そのことが日本人の死への向かい方に混乱をきたしているのではないか、と言ったのが、作家であり僧侶でもある玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏です。
(続く。)
「アナタハ、カミヲ、シンジマスカァ?!」