(これは「日本ホスピス・在宅ケア研究会 」のセミナーに参加したときの感想です。)
世の中、スピード社会ですね。現代人は何かと忙しい。でも、なぜそんなに忙しいんだ?という感じですね。
鷲田先生はTVのCMが待てなくなったそうです。CMの間にチャンネルをバチバチ変えちゃう、という…(笑)。
その昔は、「このお~木、なんの木、気になる木い~…」という日立のTVCMを毎週毎週、飽きもせずに眺めていた、とか。
あと若い学生が頻繁にメールのやりとりをしているが、あれも「返事がなかなか来ないなあ…」となって、不安になる、とかね。
私も誰かのブログにコメントした後、その返事を待ちわびてコメントの履歴を何回も、何回も開くことがありますね(笑)
ここで印象に残ったのは、「待つこと」と「期待すること」は同じようだが違う、ということ。「期待すること」はあまり良くないらしいですね。そういえば、さっきのコメントの返しなんかは、相手がどんなコメ返しをくれるか、「期待している」状態ですよね。
「待つこと」と「期待すること」の違いをよく理解できた事例を紹介します。川口有美子さんが書かれた『逝かない身体』。川口さんのお母さんALSになられたそうです。その一節を話されました。以下、
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「最も重要な変化は、私が病人に期待しなくなったことだ。治ればよいが、このまま治らなくても長くいてくれればよいと思えるようになり、その頃から病身の母に、私こそが見守られているという感覚が生まれ、それは日に日に重要な意味を持ち出していた。」
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このことって、すごいと思いません?私はこのことを“悟った”と言ってしまうんですが。
本を読んでいないのでなんとも言えないのですが、川口さんはALSで1日、1日…と死に近づいていくお母さんを介護されて、病気に対する悔しさ、やるせなさ、介護の大変さ、辛さ、将来への不安感、絶望感などを感じながら、日々過ごしておられたと想像します。
しかしある時、「治らなくても生きてくれる。それだけでいい」と思われた瞬間から「お母さんが今そこで息をしていること」、それが嬉しい、と思えるようになった、ということだと思います。ただ存在するだけでもその価値を見つけた、というのでしょうか。
鷲田先生は、このことを「価値の遠近法」と表現されました。
自分が世界と向きあったとき、その価値を分類すると
①絶対に見失っては(なくしては)ならないもの
②あってもいいが、なくても良いもの
③なくても良いもの
④絶対にあってはならないもの
の4つがあり、川口さんの気持ちは、お母さんの病気が「①治らなくてはならないもの」から「②治っても治らなくてもよいもの」に変化したんだ、と説明されました。
また、この価値の組み替えは“待つこと”によって起こるのではないか、ということです。
何かにとらわれて、しんどいとき、なやんだとき、困ったとき。そのときは時間をかけて待ってみる。そうすることで自分で決めつけていた価値に組み替えが起こり悟ることが出来る、と理解したんですが、皆さんはどう思われますか?
俯瞰(ふかん)してみる、ということ同じことかもしれません。
受け身の作法、“待つこと”。忙しい現代人にはなかなか難しいことかもしれませんが、もう一度立ち止まって考えてみたいテーマではあります。
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