(これは「日本ホスピス・在宅ケア研究会」のセミナーに参加したときの感想です。)


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「ケアが生まれる」というテーマのシンポジウムで印象に残ったのが川島みどり先生です。川島先生は看護師で日本赤十字看護大学の教授だそうです。

シンポジウムということで講演時間は長くはありませんでしたが、看護の原点というような内容をお話しされました。

川島先生は看護師になって59年(!)だそうですね。もちろん私の存在は無い時代です。



良い意味で、お話もすさまじいもので、若輩者の私の意見など挟む余地はありません。

それほど為になるお話ばかりだったんですが、特に印象に残った、このお話をお伝えします。





その話とは、先生がまだ若い看護師だった頃のことです。


脊髄の悪性腫瘍でもう命が危ない、今で言うターミナル状態で転院してきた14歳の女の子。食べることはもちろんできないし、脈拍も弱く今にも止まりそうな、危ない状態だったようです。


川島看護師たちはそれから毎日清拭をして、体中の垢を取り除いてあげていました。それから1週間後、朝、病室を覗くと女の子が細い声で「お腹がすいた。食べたい」と、初めて言葉をしゃべったそうです。そして脈拍を見ると、正常に!


女の子はそれから3ヶ月後に亡くなったそうですが、川島看護師は「なぜ、あんなに元気になったんだろう…」と理解できなかったそうです。清拭することで病気が良くなった???


そしてある日、ナイチンゲールの本を聞いたときに、その疑問は解けたそうです。

「安楽とは、それまでその人の生命を脅かしていたものが取り除かれて、再び生命が動き出す徴候」。



川島先生の本意ではないかもしれませんが、私の理解では看護は病に冒されている人に安楽な気持ちになってもらうもの、ということでしょうか。川島先生は「痛くて苦しいままでの安らかさ」と表現されました。介護も同じものである、ということを先生は繰り返し言っておられました。



そして、それを実践するための方法として、手を使うことを特に強調されていました。


胸に手を当てれば、ぜい鳴の様子、痰の位置が分かる。お腹に当てればガスの具合、便が溜まっているかどうか、が分かる。ナイチンゲールも指を3本当てれば脈拍の強さ、頻度などが分かる、と言っていたそうです。


ところが最近の看護は、脈拍は機械が測ってくれるなど機械化が進み、看護師は患者を看ないでお尻を向けてディスプレイを見ている。



これから川島先生は、「手当学(てあてがく)」という学問を研究していきたい、と話しておられました。「TE-ARTE」(て・あーて)。これは手当学のネーミングだそうです。「看護はアート」と言われるそうですが、それにも通じるうまい言葉ですね。


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