(これは「日本ホスピス・在宅ケア研究会」のセミナーに参加したときの感想です。)
第1回はこちら 。
このセッションは「介護現場の看取り」というテーマだったんですが、コーディネーターからこんな質問がパネリストに投げかけられました。
「介護現場の看取りと医療現場の看取りはどう違うか?」という内容だったと思います。
あるパネリストは、「医療職の方が「医療にとって、死は敗北だ」言ったんだけど、私たちにとっては、「死はクライマックス」、人生の最後のクライマックスだと感じる」と発言しました。
これはおそらく、どちらが正解というわけではなく、立場が違うと見解も変わる、ということなんだと思います。
もちろん、医療は「病気を治すこと」を目的にしていますから、亡くなることは医療が敗れた、ととらえられるのでしょう。
ただ、私はこのパネリストに賛成するのですが、人間には生きていく上で、根源的に与えられる4つの苦しみがあるといわれています。お釈迦様が言った言葉だそうですが、「生老病死」。これを四苦といいます。“四苦八苦する”の四苦ですね。
この中で、医療が完全に活躍できるのは、“病”の部分です。この“病”を克服しようと医療は進歩していきました。
ところが、時代は変化して“生”の部分が医療と深くつながっていきます。昔は家で出産していたのが、現代は、ほぼ100%病院で、ですね。不妊治療なども“生”に対する医療行為であると思います。
次に “死”です。死ぬことに対して医療が深く関わり始めました。延命治療などは“病”よりは“死”に対するアプローチです。
このように、“生”と“死”に対して医療が介入することにより、私たちの暮らしの中に“生”と“死”を見えにくくさせていますね。でもこれは、医療のせいではないと思ったんです。お釈迦様が言った人間の生きていく上での苦しみ、「生老病死」から目を背ける方法を人間が見つけただけなんです。
そして、今まさに、“老”の問題が少しずつ私たちの暮らしから切り離されようとされています。
今、“老”の問題を医療で解決していこう、という流れが出てきています。アンチエイジングとか、高齢者筋トレなどがそうでしょうか。「介護予防は老化予防」だと言えそうですね。そして、介護は施設に頼み、私たちの暮らしから切り離しにかかっている、ということを実感していることです。
“病の苦しみ”はもちろんですが、“生まれる苦しみ”、“死ぬ苦しみ”、そして“老いる苦しみ”を、人間は本能的に避け始めているのかもしれませんよ。
そうか、「最期まで在宅で…。畳の上で死にたい…。」という望みは叶えられないんだ…。
あるパネリストはこんなことを言いました。
「私たちができることは“死”の教育かもしれません。その方が亡くなったときに、家族と一緒にエンゼルメイク(死後の処置)をしたりして、亡くなったあとの見送り方を学ぶ、ということすべきでしょうね。」
今さら「生老病死」の全てを、昔ながらに家族や自宅で行う、ということは困難でしょう。しかし、「生老病死」は全て人生のイベントのひとつです。「生活を医療に委ねる」のではなく、「生活の中に医療がある」ということをもう一度見つめ直し、「生老病死」を我々の暮らしの中に取り戻す智恵を生み出さなければなりません。
そうしなければ、家で死ぬことなんか、これからもっともっと難しくなっていくでしょう。
現代人は試されて
いるのかもしれません…。