介護保険制度が始まるまで、
どんな動きがあったのか、見てみましょう。
議論が始まったのは、平成元年(1989)、
介護対策検討会でのことです。
同年にはゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10か年戦略)が
示されました。
(高齢者保健なんちゃらかんちゃら)は覚えにくいので、
ゴールドプランでいきましょう^^
ゴールドプランというのは、
「10年後の平成11年までに、デイサービスをいくつ、ヘルパーを何人。」
というふうに介護サービスの数値を決めて目標にしたものです。
そのための国の予算もつけました。
このことから分かるのは、当時は
介護サービスの量が圧倒的に足りなかった、
ということです。
前回の記事で「日本の高齢化は急速に進んだ」と書きました。
そのために何が起こったのか、というと、
「必要な量のサービスが提供できるだろうか」という心配です。
今風に言えば(?)介護難民が出やしないだろうか、
ということですね。「質より量」ということでしょうか。
ちなみにですね、どんな目標値を設定していたか、というと、
平成元年 平成11年
「ホームヘルパー 31,405人→100,000人」
「デイサービス 1,080カ所→10,000カ所」
「ショートステイ 4,274床→50,000床」
「特別養護老人ホーム 8,000床→240,000床」
「老人保健秘説 150カ所→3,500カ所」
だそうです。
どうですか?ケタが違うと思いません?
「在宅介護支援センター」が制度化されたのも、このときですね。
今や、「地域包括支援センター」に取って代わられたような感じですが、今も制度としては残っているはずです。
翌、平成2年(1990)には、福祉関係八法が改正されます。八法とは、老人福祉法、身体障害者福祉法など、福祉に関連する8つの法律のことです。
この改正で何が変わったのか、というと、「在宅福祉サービスを強調していこう」という流れを作りました。
この改正で、住民に身近な市町村に入所などの権限を移そう、
ということになります。
高齢者の措置権限(その人が使えるサービスを決める)のは、
それまでは都道府県の仕事でした。
福祉事務所というところが行っていたんですね。
でも、その人が今まで住んでいた場所で
どうやって暮らし続けるのが良いだろうか、というのは、
分からないわけですよ、
県が行うには、関係が遠すぎて。
それが役場だったら「どこどこのだれだれさんの娘さんが、
どこそこの老人ホームに勤めてっから、そこが良いべやあ~。」って、
なるんじゃないか、ってことなんですね。
現在でも、介護サービスの窓口(介護認定の手続など)は、
市町村がやっていますよね。
これは、このときの福祉関係法の改正が
大きな役割を果たしているんじゃないか、と思います。
一方、ゴールドプランの成果が出て、
順調にサービス量が整備されていったのですが、
「どうも、もっと整備しないと追いつかないな…」
ということが分かって、平成6年(1994)には、
新ゴールドプランが示されました。例えば、
「ヘルパーは100,000人→170,000人に増員」というぐあいに。
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