(前回はこちら。→違和感 )
加藤浩一(仮名)は若頭になっていた。
その施設には、加藤より4歳若い高卒の男たちが4人就職していた。
年下の面倒見の良い加藤は、たちまちその男たちの若頭になっていた。
加藤の上司がいて、加藤がいて、加藤の子分たちがいて。
その施設の現場はそんなピラミッドになっていた。
一方の私は、その施設の事務職にいた。
ただ、私も孤独ではなかった。
私が異動になったと同じときに下川さん(仮名)も一緒に異動になっていた。
下川さんは大阪出身の、これまた福祉に熱い人間だった。
私は大いに下川さんを影響も受けていた。
その下川さんは加藤と同じ現場の配属になっていた。
私はたびたび下川さんから現場のことを繰り返し聞いていた。
ある日、下川さんは私をそそのかしに来た。
「田中くん、勉強会をせえへんか?」ともちかけた。
「有志だけでもええ。福祉の勉強会をしよ。講師はあんたがやればええ。」と言った。
私もその施設や加藤の考えを何とか変えたいと思っていた。
下川さんも同じ気持ちだった。下川さんは加藤の上司にも認められていたし、
私が独りよがりで勉強会をするわけでもない。下川さんの援護射撃がある。
さっそく、加藤に勉強会のことを話してみた。
「田中さんが言うなら…」と加藤は賛同してくれた。
加藤が賛同してくれれば、子分たちも参加せざるを得ない。
果たして加藤と加藤の上司と子分たちと一緒にする勉強会は成功した。
障害のある仲間たちのために仕事をしたい、
という気持ちは同じだったから、
私の言っていることはすんなりと受け入れられた。
定期的に、自主的に行う勉強会は、
他の職員にも少しずつ浸透していった。
「これで、施設が変わってくれればなあ」という
手応えを感じていた。
しかし、そううまくはいかなかった。
(つづく 。)